めぐる恋歌

4.



 夜が更けても賑やかなままの邸は、ひどく不思議なものに見える。
 この奇妙な非日常感にどことなく居心地の悪さを抱いてしまうのは、自分がこういう空気に慣れていないせいなのだろう。
 大勢で集まって騒ぐような経験などほとんどなく過ごしてきたし、それで不具合を感じたことも別段ない。
 苦手とまでは言わないが、好んで身を置こうとも思わない。
 今も自然に部屋の中央からは少し外れた位置で、花梨と他の八葉との遣り取りを見るともなしに眺める形になった。
「なんだかよ、こういうのってちょっとわくわくしねぇか?」
「イサト、我々は遊ぶために集まったわけではないのですよ」
「わーかってるよ幸鷹。けど、ヘンに気だけ張ってても仕方ねぇだろ?」
「わくわくするっていうの、なんだか分かるかも。いつもと違う時間にみんなで一緒にいるのって、ちょっと楽しいよね」
「だろ? さすが花梨! おまえならそう言ってくれると思ってたぜ!」
「神子殿まで……。まあ気負いすぎては良くないというのは、そうかもしれませんが」
 窘めていたはずの幸鷹も、仕方ないと言いたげに表情を緩める。
 さすがだなと、勝真は内心で舌を巻いた。
 花梨と自分はつくづく対照的だと思う。
 大勢で賑やかに過ごすのも、彼女にとっては普通のことなのだろう。
 なんと言っても、反目し合っていた院側と帝側の八葉を協力させるほどの手腕を持つ神子なのだ。
 龍神に選ばれたのも納得できる気がする。
 だからこそ、こうして大勢に囲まれているのも至極当たり前の姿で。
 それはとても眩しくて、惹きつけられるけれど。

 ――勝真一人の傍にいる存在ではないのだと、改めて思う。

(ああ――だからそんなことを考えてる場合じゃないってのに)
 どうしても思考が同じところへ行こうとしてしまう。
 この件を最初に相談された時から、どうにも気持ちが落ち着かない。
 理由は分かっている。

 ――おかしな自惚れが、心に絡みついて離れないのだ。

 誰かに頼られるなどごめんだと思っていたけれど、花梨になら頼られるのも悪くない。
 そんな風に思える相手は初めてだ。
 花梨にそんなつもりはないのだろうけれど。
 それでも、真っ先に相談されたことが嬉しいと思った。 
 思わず、あらぬ期待を抱いてしまうくらいには。
(馬鹿馬鹿しい……我ながらどうかしてる)
 頭を軽く振って、余計な思考を追い出す。
 いま考えなければならないのは、怪異についてだ。
 神子と八葉だけに聞こえる、謎の声。
 何が目的で、何を訴えているのか。
 勝真には分からないことも、泰継や泉水ならば解決できるかもしれない。
 それで花梨の不安が解消されるなら何よりだ。
「……そろそろ来るか?」
 頃合いを見計らって声をかけると、花梨がはっと居住まいを正した。
「あ、はい、そうですね」
 その言葉が合図になったかのように、場の空気が一瞬で張り詰めた。
 他愛もない雑談をしていた者たちの表情にも緊張が走る。
 発言はおろか息をつくことさえ憚られるとでも言うように、静寂が室内を支配する。
「――あ」
 最初に反応したのは、やはり花梨だった。
 耳元に手を当て、聞き逃すまいとするかのように息を詰めて唇を引き結ぶ。
 花梨の動作とほぼ同時に、勝真の耳にもそれは届いていた。
 昨夜と同じだ。
 細く緩やかに響く、女の歌声のような音。
 知らず息を潜め、耳に届くそれを黙って受け止める。
 この場の誰もが同じようにするだろう。
 視線を上げ、周りの様子を見た勝真は、しかし次の瞬間に言いようのない違和感を覚えた。
(なんだ……?)
 皆、不思議そうに花梨と勝真を見ているだけなのだ。
 奇妙な声に耳を澄ませている風ではない。
「あの、花梨さん、勝真殿、どうされたのですか?」
「どうやら我々には聞こえない何かが、その耳には届いているようだね」
 彰紋と翡翠の言葉を受けて、花梨が弾かれたように顔を上げた。
「えっ……聞こえないんですか?」
「何かの気配は感じる。だが聞こえるものはない」
「オレ、耳はいい方だと思うけど、なんも聞こえねえぞ」
 異口同音に紡がれる言葉。
 七名ともそれは同じらしい。
「そんな……どうして……?」
 呆然と呟く花梨がこちらを見たので、黙って頷く。
 勝真にも依然として声は聞こえているのだ。
 なのに何故――他の八葉の耳には届いていないのか。
(どういうことなんだ……?)
 顔を見合わせ、ただ押し黙る二人に、他の七名の困惑した視線が注がれる。

 ――完全に予想外の展開だった。

(Saika Hio 2016.01.01)