神の隠す花

3.


「ほら」
 花梨が落ち着いたのを見てゆっくり身体を離した勝真は、膝をついた体勢のまま花梨に背を向けた。
「え?」
 意図が分からない様子で素っ頓狂な声を上げる花梨。
 首だけを僅かに後ろへ巡らせて勝真は説明した。
「おぶされ。その足じゃ歩けないだろ」
 途端に花梨は飛び上がらんばかりの勢いでかぶりを振った。
「え、だ、大丈夫です! なんとかなりますよ!」
 だが勝真のほうも譲るつもりはない。
 努めて静かな口調のまま、反論を封じる言葉を告げる。
「……今ここで無理をして、明日からの神子の任務に支障が出たら困るだろ」
 勝真にとっては建前だったが、思ったとおり花梨はそのひとことで素直に押し黙った。
「そ、それは……」
「だから、ほら――早く乗れ」
「は、はい、じゃあ、お言葉に甘えて……お邪魔します」
 いささかずれた感のある挨拶の後、肩に細い指の感覚が触れた。
 そのまま遠慮がちにおぶさってきた身体は驚くほど軽く――柔らかい。
 当たり前だが自分との大きな差異をひしひしと感じてどうにも落ち着かない。
 それでも努めて平静を装い、背中越しに鼓動が伝わらないことを祈りながら立ち上がる。
 ゆっくりと歩き出したとき見上げた空は、既に闇の帳に包まれようとしていた。
「……悪かったな、本当に」
「いえ、そんなっ、わたしのほうこそ――元はと言えばわたしが勝手なことしちゃったから……」
 ふと肩に置かれた手を見ると、その片方に花梨は未だ小さな花を握り締めていた。
 図らずもこの事態を引き起こす原因となった、竜胆の花。
 それを摘んでいたときの花梨の言葉を思い出した途端、無意識に問いが零れていた。
「――その花、どうするんだ?」
「え?」

 ――『勝真さん、竜胆の花が好きだって言ってたから』

 そう言った花梨は、なにやらひどく嬉しそうに見えたけれど。
「誰かに文でも書くのか」
 それが自分だったらいいのに――などと、一瞬浮かんだ考えは悟られないようにしたつもりだったが、もしかしたら伝わってしまっていたかもしれない。
「あ、えっと、その……」
 歯切れ悪く口篭もった花梨は、すっと息を吸い込んでから意を決したように言った。 

「あの……勝真さんに、書いてもいいですか?」 

「……おまえが、いいならな」
 我ながら素直じゃないなと思いつつ、今の勝真にはその返答が精一杯だった。
 それでも花梨にとっては満足だったらしい。
「はい、もちろんです!」
 嬉しそうに応えた声には、いつもの花梨の明るさがすっかり戻っていた。
 それだけで勝真の胸にも安堵と平穏が広がっていく。
 今更ながらにようやく自分の心を冷静に見られるようになってきて、なんとなく分かった。
 花梨が神隠しに遭ったかもしれないなどと、馬鹿げたことを考えてしまったのは。
 どこかで漠然と思っていたせいだ。

 ――神に魅入られて姿を消してしまうことも、この少女ならばありうるかもしれないと。

 何しろ龍神に選ばれた娘なのだ。
 違う神が同じように彼女を欲したとしても、何ら不思議だとは思わない。

 ――いつかそれは現実となるのかもしれない。

 龍神の神子が京を救ったあとどうなるのか、知る者は誰もいない。
 龍神に召されるのか、元の世界へ帰るのか――いずれにせよ、手の届く場所からいなくなる可能性のほうが大きいのだ。

 そうなる前に、このままどこかへ連れ去ってしまえばいいのだろうか。
 そうしたらこの少女は、ずっと傍にいてくれるのだろうか。 

 ――だがそんなことをしたらきっと、彼女の笑顔は消えてしまうに違いないから。

「……おまえ、軽いな。ちゃんと飯食ってるのか?」
 どんどんおかしな方向へ一人歩きしていく思考を振り払い、他愛のない軽口を叩いてみる。
 驚いたように身じろぎする感覚が背中越しに伝わってきた。
「た、食べてますよ」
 生真面目に応える声は確かに勝真の耳をくすぐる。
 肩に置かれた指先のぬくもりも、首筋に僅かにかかる息遣いも、すべてが花梨の存在をはっきりと伝えてくる。
 誰よりもいちばん近くでそれを感じていることが今の自分にとっての何よりの至福だと。

 今はただそれだけでいいと――勝真は心から思った。


 〜END〜 (Written by Saika Hio 2006.01.05)

 
<あとがき>
 私の悪い癖で、ものすごく長ったらしい話になってしまいました。
 三ページにも分けちゃったら既に短編じゃないような気が致しますが、私の中では短編です(笑)。

 勝真さんの障害恋第二段階のイベント後、という設定です。
 丸分かりかと思いますが、中盤〜後半部分が書きたかっただけのお話です(笑)。
 おんぶってそういえば書いたことなかったです…どのカップルでも。
 勝花も散々いろいろ書いてきましたが、そういう面でちょっと新鮮な感じでした♪
 たぶんこの勝真さんは無意識に、想う心MAXですよ(笑)。