きみのためにできること

10.




 どんどん話が大きくなっていくと見るべきなのか。
 それとも――それだけルルに人望があるのだと思うべきなのか。
 どちらも間違ってはいないのだろう。
 ルルの身に起こっている事態が深刻なのは間違いないのだろうし、それを知って居ても立ってもいられなくなる者たちがいるのもまた、事実なのだと思う。
 そこにある感情は一人ずつ様々であっても、根底はおそらく同じだ。

 すなわち――ルルを支えたいという願いは。

 ビラールにいざなわれるまま辿り着いた図書館では、見慣れた面々が積み上げた書物と格闘していた。
「おいユリウス、読むのが早いのは結構だが、必要な情報が後から分かるようにしておいてくれよ」
「うーん、そうは言われても……この本なんかは一冊まるごと有益な感じだから、みんなにも読んでもらえると嬉しいんだけど」
「この非常事態にそんな分厚い本を回し読めと言うのか貴様は! いいから要点だけまとめろ!」
「分かった、じゃあ少し時間をもらうけど――」
「待て待て待て、貴様の【少し】が言葉通りだったことはないだろう! 却下だ却下!」
「えーと……じゃあどうしたらいいのかな」
「……図書館では静かにしてくださいという根本的な話もさることながら、今そのやりとりに意味があるのかどうかもう少し考えてもらえませんか、二人とも」
「そうそう、ちょっと落ち着いてよノエルくん。ユリウスくんがこうなのは今に始まったことじゃないでしょ」
 静かであるべき図書館で、明らかに彼らだけが異彩を放っている。
 いつもの位置で鎮座しているパルムオクルスが物言いたげな視線を向けているが、それを気にする者はひとりもいないようだった。
「お待たせしまシタ、皆さん」
 遠慮する風でもなく普通に声をかけたビラールを、四人がそれぞれの仕草で振り仰ぐ。
「あ、おかえりビラール」
「やっぱりラギくんも一緒だったんだね。探す手間が省けて助かったけど」
「ルル、安心したまえ。僕たちが必ずや原因を突き止めてみせるとも!」
「ノエルの安請け合いはともかくとして……協力するのはやぶさかではありません。あまりにも不可解な事態すぎて、放っておくわけにもいかなさそうですから」
 口々に自分の思いを述べ始める四人。
 言っていることは様々だが、最終的に繋がっている部分は同じなのだろう。
 虚を突かれたように瞬いたルルは、すぐさまその頬をふわりと緩めた。
「みんな……ありがとう。ほんとにありがとう……!」
「……」
 ラギの視線が無意識に横へ逸れる。
 どことなく複雑な心境になっていくのを止められなかった。
 手放しで協力してくれる相手がこんなにいることは心強いし、ルルが笑っているのは嬉しい。
 だがルルがこんな風に笑う様を、他の奴らにも同じように見せているのがどうにも面白くないのだ。
(……んなこと言ってる場合じゃねーっての)
 胸中で自分自身に突っ込みを入れずにいられない。
 今いちばんルルのためになることはなんなのかを考えなければならないのに。
 ガリガリと髪を掻き、ラギは書物の山へ向き直った。
「……よくわかんねーけど、このへんの本を調べりゃいいのか?」
 自分から文献を調べることを申し出るなど、常からは考えられない姿だと我ながら思う。
 活字はもちろん好きではないが、これで少しでも解決に近づけるなら苦手な本を読むくらい容易いことだ。
 自ら本を手に取ろうとするラギに、ルルの驚いたような目が向く。
「つーか今回のことって前例もねーんだろ? いったい何を調べてんだよ」
 至極素朴な疑問のつもりだったのだが、ノエルが実に分かりやすく表情を引きつらせた。
「あー、それはだな、それぞれの属性が持つ役割や相関関係などから、考えられる可能性を――」
「要するに、属性に関する書物を総当たりで調べているということです」
「あーあエストくん、そう言っちゃったらミもフタもないでしょ」
「ごまかしたって仕方ないでしょう。だいたいアルバロ、あなたは先ほどからあまり真面目にやっているように見えないんですが」
「はいはい、ルルちゃんも来たことだし少しくらいは真面目にやるよ」
 氷点下の瞳で睨まれたアルバロが手近な本をぱらぱらとめくり始める。
 それを見ながらラギは内心でこっそり嘆息した。
 やはり一筋縄ではいかない話らしい。
 分かっていたことではあったので驚きはしないが、果たして本当に突破口を見いだすことはできるのだろうか。
 しかしそういう話なら尚更、単純に人手は多い方がいいのだろう。
 改めて本を手に取ろうとしたところで、ユリウスがこちらを向いた。
「あのさ、そういえばラギに聞きたいことがあるんだ」
 ペンを片手に持ったまま、好奇心に満ちた眼差しをユリウスは向けてくる。
「あ? なんだよ」
「もしかして何か気づいたこととかないのかなって思って。ここ最近のルルの様子で、手がかりになりそうなことはないかな?」
「あー……そういうことか」
 前例のない話なだけに、前後関係なども重要な意味を持ってくるのかもしれない。
 ちらりとルルを見遣ったが、本人にも特に思い当たることはないのか、考え込むような様子で首を傾げている。
「つってもな……オレは魔法のことはわかんねーし。むしろおまえらの方が分かるんじゃねーの?」
 たとえば授業中のルルの様子だとか、魔法の発動の仕方だとか、そういう話ならばラギは門外漢だ。
 だがユリウスはラギのその応えを予測していたかのように頷いた。
「うん、魔法のことはそうかもしれないけど。でも今回のことはラギがいちばんよく分かるかなと思って」
「は? なんだよそれ――」

「だって、ルルのことだから」

「――!」
 臆面も何もなく恥ずかしいことを言い放たれ、ラギの全身に一瞬で血が上る。
 まるで当然の話であるかのように、ユリウスの口調には迷いの欠片もなかった。
「な、何わけのわかんねーこと言ってんだ!」
 応えになっていない言葉を叩き返しながら、手元の本を乱雑に引ったくる。
 適当に腰掛けてページをめくり始めたが、当然ながら内容は満足に頭に入ってはこなかった。
 まったく天然とは恐ろしいものである。
 もし逆の立場であっても、ラギにはとてもそんな質問は浮かばないだろう。
(だいたい、んなの分かってたらこんなに悩んでねーっつーの)
 手がかりになるような話があれば、とっくに思い至っているはずだ。
 ルルの周りで最近起きた異変。
 そんなものがもしもあれば――。
(あ……そういえば)
 ひとつだけ脳裏に閃いたのは、あの黒の塔の研究員のことだった。
 異変と言えば、あの男が塔から出てきてルルとの接触を図ったことがそれと言えなくもない。
 だが、ただ言葉を交わしただけだ。
 いくらなんでもそれだけで何かが起こるとは思えなかった。
(ま、とりあえずは関係ねーよな)
 あの研究員のことを考えているだけで忌々しくてたまらないので、すっぱりと意識の外へ閉め出す。
 と、その時。
「あれ、パピヨンメサージュだよ。誰宛かな?」
 アルバロの声で皆が一斉に顔を上げた。
 鮮やかな青色の蝶は音もなく飛んできて、ルルの手元にひらりと舞い降りる。
「わたし宛? ……あ、ヴァニア先生からだ」
 僅かに表情を引き締めながらルルが文面を確認する。
 読み終わってもその唇は引き結ばれたままだ。
「……なんて書いてあんだ?」
「ラギには会えたかってことと……落ち着いたらもう一度学長室へいらっしゃい、って」
 落ち着いたらというのが具体的にどういう状態を指すのかよく分からないが、わざわざ呼び出すということはできるだけ早いうちに来いということなのだろう。
「……」
 ラギは周囲の面々にちらりと目を遣り、それから改めてルルへ向き直った。
 視線が気にならないといったら嘘になるが、羞恥だのプライドだのというくだらないことよりも、今は言わなければならないことがある。
「――ついてってやろうか?」
 短い提案に、ルルが目を見開く。
 聞き返されたらどうしようかと思ったが、ちゃんと聞こえていたらしく、その顔が一瞬で笑みに変わった。
「ありがとうラギ。でも大丈夫」
 驚くほどの芯の強さを感じさせる瞳がまっすぐに見上げてくる。
「行ってくるから、待っててくれる?」
 こんな風に不意打ちで見せられる強さが、実に反則だと思う。
「ああ――わかった」
 絶対に口には出せない思いを胸の奥で留めながら、ラギはただ短く頷いた。


(Saika Hio 2011.04.02)