きみのためにできること

3.


「やあルルちゃん、今日も豪快に失敗してたね」
 渡り廊下で唐突にそんな声をかけられ、ルルはぴたりと立ち止まった。
 口を尖らせて振り向いてみせても、相手は意に介する風もなく笑みを顔に張り付けている。
「……今日のはそこまでひどくなかったと思うの」
 我ながら情けない切り返しだが、それ以外に言える言葉が見つからなかった。
 今日は教室を水浸しにしたり植物を異常に成長させて天井を突き破ったり突風を巻き起こしてその場にいた生徒全員を吹き飛ばしたりはしていない。
 ただ少し光魔法の匙加減を間違えて、部屋中を何も見えないくらいの閃光で真っ白にしてしまっただけだ。
 ついでに言うとそれを元に戻そうとした結果、やはり闇魔法の匙加減も間違えて逆に教室を真っ暗闇にしてしまったりもしたのだが。
 実害という意味から見れば、大きな失敗の部類には入らないのではないかと――そう思ってしまうのだが、あくまでそれはルル個人の基準でしかない。
 きっとそのあたりを鋭く突っ込んでくるのだろうと思ったルルの予想通り、アルバロはますます面白そうに肩を竦めた。
「へぇ、それは君の基準に照らし合わせた見解なのかな? よかったらその基準を俺にも分かりやすく説明してよ」
 案の定、的確に痛いところを突かれた。
 返す言葉に困ってしまい、思わずじろりと睨みつけてしまう。
「アルバロっていじわるよね!」
「お褒めにあずかり光栄だよ」
「褒めてないわ!」
「そう? 俺は君のこと褒めてあげたいよ」
「え?」
「あんなにいろいろ面白い失敗をしてる割に、さすが火の魔法だけは安定してきてるよね。すごいと思うよ。それってやっぱりラギくんのおかげ?」
「……っ、ほ、褒めてくれるのは嬉しいけど、なんだか論点がズレてると思うの!」
 かぁっとルルの頬が熱を帯びる。
 アルバロの言うとおり、火の魔法が安定してきているのはラギのおかげだとルル自身も思っている。
 自分でラギにそう言ったときはただ嬉しくて、とにかく彼に伝えたい一心だったのだけれど。
 改めて誰かから言われると、何故こんなにも恥ずかしいのだろう。

 ――『ラギが持つ性質と火の力とは、きっと同じだから。わたしに力を貸して、ってお願いするような気持ちで律を編むの。そうしたら、すーっと気持ちが落ち着くのよ』

 それは今までに覚えたことのない感覚だった。
 属性というものがどうやって身の内に宿るのか、あの試験を受けるまでの半年の間に何度も想像してみたことがある。
 けれど実際には理屈で考える必要などまったくなく、それはごく自然にルルの中に存在していた。
 そして火の力を感じるとき、そばにはいつも必ずひとつの気配がある。

 大きくて暖かくて、激しいけれど優しい。
 絶対的な存在感を持つ、炎の形。
 いつもそばにいて守ってくれる。
 力を貸してくれる。

 だから何も怖くはないのだと【知って】いる。

 頼りきるつもりなどないけれど、その安心感はルルにとって驚くほど大きな力なのだ。
 火の魔法を失敗しなくなったのはきっとそういうことなのだろうと、ルルは思っている。
「ふぅん……図星ってことかな」
「え?」
「素直だねルルちゃん。全部顔に出てるよ」
「そ、そんなことないと思うわ! その手には乗らないんだから!」
 全力で否定してしまったのはまったく以て図星だったからに他ならない。
 そんなことくらい当たり前のように看破しているのであろうアルバロは、訳知り顔でルルへ向けて片目を瞑ってみせた。
「はいはい、じゃあそういうことにしておこうか」
「……」
「まあ俺はこのへんで退散するよ。あんまりからかいすぎるとラギくんが怖いからね」
「……もうっ!」
 言いながら手をひらひらと振り、アルバロはさっさと行ってしまった。
 ――結局なんだったのだろう。
(アルバロの行動に意味なんて見出だそうとしちゃいけないのかしら……)
 なんだかどっと疲れたような気がするが、魔法を失敗した自己嫌悪は少しだけ和らいでいた。
(一応アルバロのおかげってこと……かな?)
 そんなことを思いながら渡り廊下を歩いていこうとした、その時だった。
「こんにちは、ルルさん」
 礼儀正しい声に呼びかけられ、再び足を止める。
 振り向いた先には見覚えのある顔があった。
 先日ラギと一緒の時に声をかけてきた、黒の塔の研究員だ。
 あのときと同じように、にこにこと人懐っこい笑みを浮かべている。
「こんにちは」
 失礼にならないよう、しっかりと頭を下げる。
 ラギはこの研究員にあまり良い感情を持っていないようだったが、挨拶くらいはきちんとすべきだろう。
 ルルの対応に安心したのか、相手は一歩近づいてきた。
「先日はあまりお話できませんでしたから、ぜひまたお会いしたいと思っていたのですよ」
「そ、そうなんですか」
 そう切り出されると、ラギの言葉を思い出して少し身構えてしまう。

 ――『あいつらが未知の研究対象となり得るものに対してどれだけ貪欲で容赦ねーか……知らねーだろ』

 確かにルルはラギほど黒の塔について知らない。
 だから彼の忠告には従うべきなのだろうと、理性では分かっている。
 けれどやはりこの人はそこまで酷い人には見えなくて、話をするくらいなら良いのではないかと思ってしまうのだ。
(ちょっとくらいなら大丈夫よね……立ち話だし)
 ラギに知られたらきっと怒られてしまうだろうけれど。
 それでも――少しだけなら。
 ルルの葛藤など知る由もないであろう青年研究員は、さらに言葉を重ねてくる。
「失礼ながら、声をかけるタイミングを計っていたら先ほどの会話が聞こえてしまいまして……その」
「え?」
「不躾でしたら申し訳ありません。まだ上手くいかないことが多いというのはどうやら本当のようですね」
「そ、それは、そのー……」
 言葉に詰まったのは単純に恥ずかしかっただけなのだが、青年研究員は違う意味に受け取ったらしい。
「ああすみません、警戒させてしまいましたか? 別に無理矢理あなたを黒の塔ヘ連れ込もうだとか、そんなことは考えていませんから。どうか安心して下さい」
「あ、ええと……」
「ただ本当にお話を伺いたいだけなのです。後天的に属性を身に付けるということについて少々調べたくて。差し支えなければ、魔法が上手くいかなかったときの状況などをお聞かせ頂けませんか?」
 青年研究員の口調にも態度にも不躾な色はまったく見えない。
 尋ねられている内容はある意味ひどく不躾と言えなくもないが、不思議と嫌な感じは受けないのだ。
 ここまで言われて拒絶する理由は、少なくとも今のルルには見つけられなかった。
「分かりました……今ここでお話するだけでしたら、大丈夫です。わたしで答えられることならなんでも聞いて下さい」
 ラギが今ここにいたら烈火の如く怒り出すに違いない。
 少し後ろめたくはあったが、話をするだけで何かが起こるとも思えなかった。
 それから少しの間ルルは、青年研究員の質問に答えられる範囲で答えていった。
 失敗した魔法の種類、本来成り立つはずだった結果とルルが導き出した失敗との具体的な違い、魔法が発動したときの状況、等々。
 列挙していてはキリがないのでどこまで遡ればいいのかルルには判断が付かなかったが、とりあえずここ最近の事例をいくつか聞いたところで青年の方が話を区切った。
「なるほど、興味深いお話ばかりですね。実に参考になります」
 失敗談に感謝の言葉を貰うというのは非常に居心地の悪いものである。
 曖昧に笑うルルに、青年研究員も笑みを向けた。
「しかしやはり火の魔法には失敗がないのですね。その事実も含めて実に興味深い」
 先刻のアルバロと同じことを言われ、ルルの心臓が跳ね上がった。
「あ、あの、それは――」
「あなたの属性との因果関係を考えれば当然のことですが、そうするとつまり――」
 てっきりアルバロと同じようにラギのことを持ち出されると思って身構えてしまったが、青年研究員は何やら一人でぶつぶつと呟いている。
 ルルは内心でほっと胸を撫で下ろした。
(よかった……やっぱり改めてそういうこと説明するのって、恥ずかしいもの)
 ルルの微妙な乙女心など預かり知らぬ青年研究員は納得したように頷き、改めてこちらへ向き直った。  
「貴重なお話をありがとうございました、ルルさん。お手間を取らせてしまって申し訳ありません」
「いえ、そんなこと……お役に立てたのでしたら何よりです」
 正直なところ、ルル自身には自分の話が何の役に立つのかさっぱりわからない。
 けれどこの青年が満足してくれたのなら良かったと、心底から思った。
「お礼にもなりませんが、よかったらこれをどうぞ」
 言いながら彼はポケットから一枚のカードを取り出した。
 絵はがきよりは小さく、名刺ほどのサイズだ。
 表面には赤やオレンジなど暖色系の色が混ざり合った不可思議な絵が描かれている。
 否、絵なのかどうかさえもよく分からないが、見ようによっては夕焼けのようにもたき火の炎のようにも見える、そんな奇妙なカードだった。
「これは……?」
「気休め程度ですが、気持ちを落ち着ける魔法を施してあります。描かれている炎をじっと見つめてご覧なさい」
 言いながら青年はカードをルルの方へ差し出す。
 何の疑いもなくそちらへ伸びた手の中に、当たり前のように小さなカードが収まった。
 言われるまま、描かれている赤やオレンジの色を見つめる。
 刹那、吸い込まれるような感覚に襲われたのは気のせいだったのだろうか。
(あ、あれ……?)
 ほんの一瞬の立ちくらみのような感覚は、すぐに消えた。
 手の中のカードにもそこに描かれたものにも、何も変化は見られない。
 ただ、踊る炎のように見えるそれは、炎であるならばラギの持つ性質と同じであるはずなのに、何故か異なるもののように見えて仕方がなかった。
 何故そんな風に思うのだろうと考えを巡らせるよりも先に、青年研究員は一歩身を引いていた。
「では、私はこれで失礼します。――またお会いしましょう」
「え、あ――はい」
 去り際、こちらを見た彼の目に宿った光。
 それが今までの彼の雰囲気と違うものに見えたような気がした。
 けれどほんの一瞬だったから、見間違いかもしれない。
 なんとなくその場から動けないまま、どれくらい立ち尽くしていただろう。
 手の中に載ったままの不思議なカードへ目を落としても、もう先刻のような奇妙な感覚は訪れなかった。
 何の変哲もない、ただの紙。
 当たり前のことなのに、釈然としないのはどうしてなのか――自分でも分からない。
 説明のできない不可解さを胸に残したまま、ルルはカードをそっとポケットにしまった。
 そのままラギとの待ち合わせ場所へ向かう。
 ルルを見た瞬間、ラギは驚いたように目を見開いた。
「おい、どうした? なんかいつになくボーっとしてねーか?」 
「え? そ……そんなことないよ」
 一瞬で見抜かれてしまったことが衝撃でもあり、嬉しくもある。
 けれどやはり黒の塔の研究員と会話したことは、ラギには言えなかった。
(ただ少し話しただけだし、いいよね……?)
 自分に言い聞かせてみても、ラギに隠し事をするというだけで胸が苦しい。
(ごめんね、ラギ……)
 心の中で謝りながら、思う。
 あの研究員と会話したことを後悔してはいないけれど、それならばどうしてこんなに後ろめたい気持ちになるのだろう。
 どれだけ考えてみても、その答えは出てきそうになかった。
 

(Saika Hio 2010.10.30)