Happening Happy Day

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  2.  


 *     *     *


 食堂にはまだあまり生徒はいなかった。
 夕食の時間には少し早いので、当たり前かもしれない。
 だがラギは他の生徒のことなど全く意に介さず、皿の上に山と積まれた肉を次々とたいらげていった。
 ようやく人心地ついたところで盛大に溜息をつく。
 空腹は満たされたが、気持ちの方はそう簡単にはいかなかった。
(ったく、なんだってんだ……オレが悪いのかよ)
 ルルがあれほどまでに怒る理由が、いくら考えてもわからないのだ。
 思うことがあるのならはっきり言えばいい。
 あんな風に泣き出すのではなく、ちゃんと伝えてくれればいいのだ。
 そうでなければ、理解しようとすることすらできないではないか。
「あれっ、ラギひとり?」
「今日はルルと一緒ではないのか。珍しいな」
 知らず息を吐き出したのと同時に声をかけられた。
 めんどくささを隠そうともせずに振り向くと、ノエルが勝手に慌て始めている。
「い、いや、僕がユリウスと一緒にいるのには別に意味なんてないぞ! たまたまそこで会っただけで――」
「さっきルルと一緒にいたよね? 何かあったの?」
「――っ!」 
 ノエルのどうでもいい言い訳はともかく、ユリウスの疑問はラギの胸を鋭く直撃した。
「……見てたのか?」
「うん、今日は授業中からルルがやけにそわそわしてたから。ラギと約束してるのかなと思ったら、そのとおりだったみたいだね」
「……」
 どこからどこまで見られていたのかはよくわからないが、このとぼけた反応を見る限り決定的瞬間は知られていないようだ。
 だが適当にごまかそうと口を開きかけたところで、ノエルがとんでもないことを言い出した。
「なんだ、ケンカでもしたのか? まったく君は女心と言うものがわかっていないと常日頃から思っていたんだ」
「! うるせー、余計なお世話だ!」
「しかし事実なのだろう? いったい何をしてルルを怒らせたんだ」
「っ――そ、それは――」
 いつになく偉そうに言い募るノエルが忌々しくないと言ったら嘘になる。
 だが少なくともラギよりは女心とやらが分かるというのは、あながち間違いでもないような気がした。 
 一人で考えていてもわからないなら誰かの知恵を借りるしかない。
 そんなふうに思った自分はおそらくかなり疲弊していたのだろう。
 何でもいいからとにかく突破口が欲しかったのかもしれない。
「別に、なんもしてねーよ。ただ――」
 甚だ不本意ながら、ラギは事の次第をぽつぽつと語り始めた。
 聞き終えたノエルがあからさまに顔をしかめ、尊大な仕草で腰に手を当ててふんぞり返る。
「何もしていなくはないじゃないか! それはルルが怒るのも当たり前だ!」
「……てめーに駄目押しされると地味にショックだな」
「きっと二人で一緒に食べようと思っていたのだろう? それをそんな風に台無しにされては彼女が可哀想だ」
 ラギの皮肉すら耳に入っていない様子で、ノエルはあくまでルルの肩を持つ。
 もちろん面白くないのが本音だが、反論の余地がないのもまた事実だった。
「やっぱ、そう……なのか? けど――」
「でも食べちゃったものは仕方ないよ。謝ればきっとルルだって許してくれるんじゃないかな」
 ラギの呟きを引き取るように、慰めになっているのかいないのかわからない提案をユリウスが述べる。
 いよいよラギが盛大な溜息を落とした、その時だった。
「ノエルくんもたまには役に立つこと言うんだね。いやー、珍しいものを見せてもらったよ」
 名指しで失礼極まりないことを言われたノエルが途端に眉を釣り上げ、声の主を睨みつける。
「たまには、とはなんだアルバロ! そういう君はいつも役に立たないどころか、害になることしか言ったりやったりしないだろう!」
「そうだっけ? 別にそんなつもりはないんだけどな」
「なんだとー! 白々しいにもほどがある!」
 怒髪天を突く勢いで怒り始めたノエルだったが、それを諫めるようにのんびりした声がアルバロの背後から響いた。
「賑やかデスね、何かあったのデスか?」
 人畜無害な笑みを浮かべるビラールに、アルバロが面白そうに目を向ける。 
「ノエルくんの恋愛講座ってとこかな。ラギくんのわからない女心について」
「なっ――」
「なにしろラギくんったら、ルルちゃんの大事なものを強引に奪っちゃったって言うんだからさ。ひどいよねぇ」
「! アルバロてめー、いかがわしい言い方してんじゃねー!」
 飛び上がらんばかりの勢いで怒鳴りつけてもアルバロは動じる様子さえ見せない。
 今の物言いでは誤解を招くどころの騒ぎではないだろう。
 案の定ビラールは、一旦見開いた目をこれ以上はないほど細めてラギを見た。
「そうデスか……ラギ、大人の階段を上ったのデスね」
「上ってねーよ! つーか何の話だ!」
 あからさまに誤解しているビラールを、ラギは鋭く睨みつけた。
「オレはただ、あいつの持ってたカップケーキを全部食っちまっただけだ」
「カップケーキ、デスか」
「ああ。そもそも――」
 先ほどユリウスとノエルにしたのと同じ話をもう一度繰り返す。
 アルバロはいったいどこから聞いていたのだろうと思ったがそこを追求するのは断念した。
 聞き終わったビラールは何か考えるように視線をさまよわせた後、意外なほど真摯な視線をラギに向けた。
「そう――デスね、やはりそれハ、ラギが悪イ」
「……てめーは間違いなくそう言うだろうと思ってたぜ」
 人当たりがよく女性にも優しいビラールは、ノエルと同じかそれ以上にルルの味方をするだろうと思っていた。
 ラギ自身も不本意ながら自分の非を認めるつもりは既にあるので腹は立たないが、やっぱりな、という思いは否めない。
 しかしビラールが言いたかったのは少し違っていたようだ。
 彼は小さく頭を振り、真摯さを崩さない瞳でラギを見る。
「ラギ、今日が何の日か、わかっていマスか?」
「あ? 今日? ……なんか特別な日なのか?」
「ええ、少ナクともルルにとってハ、とてもとても大切な日のはずデス」  
 一瞬、複雑な思いが胸をかすめる。
 ラギに分からなくてビラールに分かる、ルルにとって大切な日とはなんなのだ。
 かすかな苛立ちを瞳に宿したラギへ、ビラールは静かに告げた。
「ラギ、今日ハあなたの誕生日。私はそう記憶していマシたが、違いマシタか?」
「……はぁっ!?」
 まったく意識の中になかった単語を聞いて、一瞬すべてが固まる。
 口を何度か開け閉めしてみたが、うまく言葉を紡ぐことができない。
(誕生日……オレの……?)
 ルルに教えた覚えはない。
 自分の生まれに複雑な思いのあるラギにとって、それは自ら口にしたい事柄ではないから。
 ルームメイトであるビラールが知っているのは不思議でもなんでもないが、何故ルルが知っているのだろう。
「少し前に聞かれたのデス。知ったトキのルルはとても嬉しそうでシタ。きっと、お祝いを考えテいたのデスね」
「……」
 ラギの心中の疑問を読んだかのように、穏やかに応えるビラール。
 どこか虚ろな響きでそれは耳にこだまする。
 今の状況をどう受け止めるべきなのか、まとまらない思考では判断もつかない。
「――ですから、そんな重苦しい空気を纏いながらついてこられても困るんですが」
 入り口の方から聞こえてきた声が、なんとなく耳に入ってくる。
 見るともなしに見遣ると、エストが背後に向かって面倒そうに呟きながら入ってくるところだった。
 次いで、彼が言葉を向けている相手が後ろから現れる。
 その姿を見た途端、ラギの鼓動が凄まじい勢いで跳ねた。
「ついていってるんじゃないもん、食堂に行きたいだけだもん。わたしの前をたまたまエストが歩いてるだけだもん……」
 萎れた花のように項垂れながら歩いてくるルルはこちらにまったく気づいていない。
 そんな彼女を見ながら、はぁ、と困り果てたような溜息がひとつエストの口からこぼれた。
「……ラギと何があったのか知りませんが、よくそこまで一喜一憂できるものですね。本当にあなたという人は、ある種の尊敬に値しますよ」
「! な、なんでラギのことってわかるのっ!?」
 垂れていた頭が一瞬で上を向く。
 エストはまるで意に介する様子もなく、再び溜息をついた。
「分からない人がいたらむしろお目にかかってみたいものです。自覚がないとはさすがですね」
 皮肉をそれと受け取ったのかどうか、ルルは頬を膨らませて軽くエストを睨む。  
「だって今日はラギの誕生日なのに、ラギったら――」
「――っ!」
「えっ……あ――!」
 エストを見たつもりで、その先にいるラギに気づいてしまったらしい。
 ラギが思わず息を呑むと、ルルもあからさまに表情を強張らせた。
 そのままどちらの動きも止まる。
 先に動いたのはルルだった。
「っ――おい!」
 踵を返して食堂を出ていく後ろ姿。
 それを今すぐ追いかけなければならない衝動が瞬時に胸を焦がす。
 椅子を蹴り倒して立ち上がり、ラギは食堂を飛び出した。
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