Happening Happy Day

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  1.  


「ねえラギ、今日もとってもいいお天気ね!」
「あー……そーだな」
 これでさっきから五回目だ。
 繰り返される同じ遣り取りがそろそろ面倒になってきたラギは、だんだん自分の返事がおざなりになっていくことを自覚していた。
 普段ならば、ちゃんと聞いてほしい云々と文句を言われそうな態度のはずだ。
 しかしルルは文句どころか表情を曇らせることすらなく、にこにこと笑ったまま歩いていく。
 ――なんとなく、今日のルルはいつもと違う。
 能天気そうな笑顔を浮かべているのはいつも通りと言えなくもないが、どことなくいろいろと不自然なのだ。
 それはまず、授業が終わった後に裏山へ行こうと言いだしたことから始まる。
 休日に朝から行くならともかく、平日の授業後ではすぐに日が暮れてしまうのは分かりきっているのに。
 だからラギは首を縦に振らなかったのだが、ルルは珍しく食い下がってきた。
 どうしても静かな場所へ行きたいと言うのだ。
 しかし理由を聞いてもはぐらかすばかりで要領を得ない。
 しかたなく湖のほとりという妥協案を提示し、どうにかそれで手を打ってもらうことになった。
 かくして二人で湖のほとりへ向かう途中なのだが、その短い道中でルルはもう五回も天気について口にしているというわけである。
 おかしいといえばもうひとつ。
 ルルが大切そうに抱えているバスケットだ。
 白い布が被っているおかげで、何が入っているのかは見えない。
 尋ねてみたがうまくごまかされてしまい、その中身は不明のままである。
 いったい何をしようというのだろう。
(また突拍子もねーこと企んでなきゃいーんだけどな)
 とにかくルルの発想はラギの想像を遙かに超越していることが多い。
 予想しようとしても無駄なのかもしれないが、隣を歩く姿を見ながらラギは自分なりに考えを巡らせてみた。 
 ――が。
(ダメだ、わかんねー)
 三歩も歩かないうちに内心で白旗を挙げる。
 ルルの脳内を推し量ろうなど、無謀にも程があるというものだ。
 どうせ湖のほとりに着いたら分かるのだろう。
 ならば無駄に思考を働かせることもない。
 そう割り切り、黙ってついていくことにした。
(しっかし……マジでいつになくはしゃいでねーか?)
 もはや軽やかを通り越して危なっかしいと言った方が良いような足取りである。
 こういうときはロクなことが起こらない――そんな思いが脳裏に閃いたのは、もしかしたら予感だったのだろうか。
「あっ――」
「! ばっ――危ねー!」
 足下の凸凹につま先を取られたルルが、前へつんのめる。
 そこへ腕を伸ばしたのは無意識だった。
 直後の展開を脳裏に思い描いたのとほぼ同時に、ルルの身体が倒れ込んでくる。
 その柔らかさをしっかり受け止めたはずの次の瞬間、小さな爆発のような音が響いた。
 ――そうして。
「……」
「ご――ごめんなさいラギ!」
「おまえというヤツは――いーかげん学習しろっつってんだろー!」
 小さな羽でふよふよと浮きながら、ラギは炎を吐かんばかりの勢いで叱咤の声を飛ばした。
「足下に気をつけろとか転ぶなとかオレに倒れかかってくるなとか、いつも言ってんだろーが!」
 厳密には今の場合、倒れかかってこられたというよりはラギの方から手を伸ばしてしまったのだが、そこにはあえて触れないようにする。
 ルルもこの状態でそこを突っ込む余裕はないらしく、神妙に手を合わせて何度も謝罪を口にした。
「ごめんね、本当にごめんなさい。気をつけてるつもりなんだけど……」
「おまえの場合は中身が伴ってねーんだよ! だからいつもオレがこんな目に――つーか、ハラ減った……!」
 それでなくても変身には空腹が付き物だというのに、勢いに任せて怒鳴り続けたせいで余計に気力が奪われていく。
 おろおろと辺りを見回していたルルが、はたと一点で目を留めた。
「あ――」
 視線の先をラギも目で追うと、そこにはバスケットが落ちていた。
 先刻からずっとルルが大事そうに抱えていたものだ。
 今までは見えなかった中身が、被さっていた布が外れて露わになっている。
 そこに入っていたものは――いくつかの小さなカップケーキだった。
 いかにも女の子らしく可愛らしい感じでクリームなどがトッピングされ、しかもひとつひとつが透明なシートとカラフルなリボンでラッピングされている。
 だがラギは元々そういった装飾などに興味はなく、加えて今は食べ物そのものしか目に入っていない極限状態だ。
 何かを考えるような余裕はなく、無意識にそちらへ手が伸びていた。
「あっ、待ってラギ――!」
 いつになく切羽詰まった様子でルルが制止したが、ラギの耳には入らなかった。
 食欲という本能の赴くままにカップケーキのラッピングを解く。
 バスケットの中身が空になるのに、さほど時間はかからなかった。
「満腹には程遠いが……まあしょうがねーか」
 吐息をこぼしつつ、ひとりごちる。
 程なくして元の姿に戻るだろう。
 ようやく意識が落ち着いてきたところで、改めてルルの様子がおかしいことにラギは気づいた。
 ルルは瞬きすら忘れてしまったかのように、放心した様子でバスケットを見つめている。
「おい、どうしたルル?」
「……い」
「あ?」
 震えるように唇がわなないた、次の瞬間。
「ひどい、こんな風に全部食べちゃうなんて! ラギったらひどいわ!」
 毅然と持ち上げられた顔は紅潮し、その瞳にはうっすらと涙すら浮かんでいる。
 ラギを見る視線は明らかに非難と怒りに満ちていた。
「せっかく――せっかくがんばって作ったのに!」
「しょーがねーだろ、変身するとハラが減るんだよ! つーか元はと言えばおまえが――」
「っ……そうだけど――わたしが転んじゃったのがいけないんだけど! でも……っ」
 言い募る間にルルの瞳の涙がどんどん大きく膨れ上がり、ぼろぼろと地面へ向かって転がり始めた。
「なっ――なんで泣くんだよ!」
 もはや訳が分からない。
 手作りだったのはなんとなく分かったが、食べ尽くされただけでここまで怒ることはないだろうに。
 と言おうとして、ふと気付いた。
 ――ルルはこのカップケーキをラギと二人で一緒に食べようと思っていたのだろうか。 
 そう考えると、彼女のあの浮き足だった様子も納得がいく。
(けど――それにしたって泣くこたねーだろ!)
 そもそもラギは女子の涙が苦手である。
 泣いている女を相手にどんな態度を取ればいいのか、実は未だによく分からないから。
 ましてやそれが惚れた女ともなれば尚更だ。
 半ば恐慌状態に陥りかけていたせいで、重ねた言葉は勢い任せ以外の何物でもなかった。
「全部いっぺんに食っちまったのは悪かったかもしれねーけど、どうせオレに寄越すつもりだったんだろ? だったら同じことじゃねーか」
 だがそれを聞いた途端、ルルの表情が凍り付いた。
 まるで、絶望的な何かを突きつけられたかのように。
「……っ」
 切なげに閉じた瞼から、止まることなく涙が溢れ続ける。
 ――と、次の瞬間。
「ひどい! もうラギなんて知らない! ラギのばかーっ!!」
 拾い上げられたバスケットがルルの頭上に掲げられ、そのまま力任せに振り下ろされる。
 否、振り下ろされたのではなく――。
「ぐがっ!」
 投げつけられたバスケットを強かに顔面へくらい、ラギはもんどり打ってその場に倒れた。
 哀れ地面に墜落したチビドラゴンには、走り去るルルを追いかけることは不可能だった。 
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