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● 伝えたいこと  ●


 感情を真っ直ぐにぶつけてくる人だと、初めて逢ったときから思っていた。
 よく言えば裏表の無い、悪く言えば――直情的といったところだろうか。
 でも花梨は彼のそんな性格を「悪く」思ったことは一度もない。
 いつも本音で気さくに接してくれることが、ずっと嬉しかったから。
 見知らぬ人ばかりのこの世界で、まるでずっと前から知っていたかのように親しく接してくれた人。
 それがどれほど心の支えになったか、とても言葉では言い表せない。
 そして、花梨にとってたった一人の大切な人になった今、
 彼が口に乗せる言葉は甘くて優しくて、花梨を赤面させることも少なくない。
 居た堪れなくなるほど恥ずかしいのと同時に、嬉しいのももちろんなのだけれど。
(わたしの気持ちは、ちゃんと分かってもらえてるかな……?)
 彼が寄せてくれる想いに負けないほど同じものを、花梨も持っているつもりだ。
 けれど面と向かって口にしたことは、想いの通じ合った最初のときしかないような気がする。
(それだって先に好きだって言ってもらえて、わたしもです、って応えただけだもんね)
 改めて考えると、自分がずいぶんと受身であったことに気付く。
 気付くのが遅すぎると言われてしまえばそれまでだが、とにかく気付いた以上はなんとかしたかった。
(よしっ、ちょっとわたしも頑張ってみよう!)
 密かな決意を胸に抱いて、花梨は拳を握り締めた。
 

 *     *     *
 

「こんにちは、勝真さん」
 四条の尼君の館まで、勝真は毎日逢いに来てくれる。
 ただ待っているだけなのは申し訳ないといつも思うのだが、当の勝真はまったく気にしていないらしい。
 花梨と顔を合わせた途端、その口元が嬉しそうに綻んだ。
「なんだ、今日はまたずいぶんと畏まって待っていてくれたんだな」
 いつもそれなりにきちんと準備をして迎えているつもりだが、今日はそれに加え部屋の真ん中でまっすぐに正座をして待ってみたのだ。
 僅かに驚いた様子を見せた勝真だったが、すぐにいつものように腕を伸ばしてくる。
 大きな掌に髪を撫でられて、そのぬくもりとくすぐったさに思わず首を竦める。
 胸に広がる甘い心地が、懸命に考えていた言葉を彼方へ弾き飛ばしてしまいそうになる。
 そのまま抱き寄せようとする力に気付き、花梨は慌てて我に返った。
 ここで身を委ねてしまったらいつもと同じことになってしまう。
 それはそれでいいのだが、その前に告げたいことがあるのだ。
「あ、あのっ勝真さん!」
 精一杯抗いながら待ったをかける。
 と、勝真の口がへの字に曲がった。
「なんだよ」
 抵抗されたことが面白くないのか、目つきもやや不機嫌さを帯びる。
 間髪入れずに花梨は言葉を次いだ。
「わたし、どうしても勝真さんに言いたいことがあるんです」
 最大限の真剣さで見上げる眼差しを勝真がどう受け止めたのかは分からないが、それでも彼は頷いてくれた。
「何なんだ改まって……まあいいさ、聞いてやるから言ってみろよ」
「はい!」
 大きく頷いて、考えていた言葉を反芻する。
 だがどうしても第一声が出てこなかった。
「どうした?」
 怪訝そうな目で勝真が見下ろしてくる。
 吸い込まれそうなその眼差しから慌てて目を逸らし、暴れる胸を花梨は必死で宥めた。
(だ、ダメだ……こんな近くで見られてたらとても言えないよ)
 今にも心臓は口から飛び出してしまいそうだ。 
 だが言うと決めたのだから言いたいし、言わなければならないと思う。
 素早く考えを巡らせ、一瞬後に妙案が閃いた。
「あの……後ろを向いてもらってもいいですか」
「は?」
 突拍子もない発言に遠慮なく眉をひそめる勝真。
「どうしてだ?」
 声音が僅かに低くなったのを感じて、思わず怯みそうになる。
 そんな心を懸命に奮い立たせて、己の要求を花梨は頑なに押し通した。
「お、お願いします。向こうを向いてもらえたら――言いますから」
「………」
 まだ何か言いたそうに口を開きかけた勝真だったが、結局黙ったまま彼は背中を向けてくれた。
「ほら、これでいいのか?」
「は、はい、ありがとうございます」
 視線が合わなくなったら動悸も若干落ち着いてきた。
 とはいえ、目の前の広い背中は彼の眼差しとはまた違う力で花梨を魅了して止まないのだけれど。

 ――結局、勝真のすべてが愛しくてたまらないのだと、改めて気付かされる。

「あ、あのですね――えっと」
 どんな言葉で告げようかと何度も考えて準備していたはずなのに、いざとなると何も出てこない。
 あの、その、と意味不明な単語ばかりが続く間、勝真は根気よく待っていてくれる。
 いつまでもそれでは埒があかないと、やっと覚悟を決めたのはどれくらい経った頃だろうか。
 己の心を叱咤して、花梨は息を吸い込んだ。

「わたし――勝真さんのこと、大好きです」

 改めて口にすると、甘くて温かくて――不思議な心地が胸に広がる。
 あれこれ考えたりなどしなくても、伝えたいことは自然に言葉となっていく。
「いつも優しくてわたしのこと大切にしてくれて、一緒にいると安心できるし楽しいし、でもいつもなんだかドキドキしちゃうし……不思議な気分なんですけど、ずっと傍にいたいっていつも思ってます」
 目の前の背中がぴくりと動いた気がしたので、続く言葉を慌てて探す。
「だ、だからええっと……とにかく勝真さんが好きですってことを、言いたかったんです」
 そこで初めて、吐息のような苦笑のような声が勝真の口から零れた。
「……さすがにそこまで並べ立てられると、気恥ずかしくてかなわないな」
 髪を掻き揚げる仕草は照れ隠しだろうか。
 律儀に向こうを向いてくれているままの表情は、分からないけれど。
「おまえにそう言ってもらえるのはもちろん嬉しいが……話ってのはそれなのか? 何だ今さら改まって」
「だ、だっていつも勝真さんから好きとか愛してるとかおまえじゃなきゃダメだとか言ってもらってばっかりだから――」
 勝真にそう言われる度に鼓動が騒いで仕方なくなる花梨としては、こうまで冷静に返されると逆に落ち着かなくなってしまう。
 しどろもどろになりながら、それでもなんとか思うことを訴えてみた。
「だから、たまにはわたしも言いたいなって思って……」
 ともすれば消えてしまいそうになる声を奮い立たせてそう告げた、次の瞬間。

「――馬鹿」

 僅かに首を巡らせて、囁くように勝真が呟いた。
 驚くほど嬉しそうな空気がその全身から伝わってくる。
 自分のものではないかのように激しく鼓動が跳ねて思わず息を呑んだ花梨だったが、彼がそのまま振り向こうとしているのに気付いて我に返った。
「ダメ! こ、こっち見ないでください」
 間一髪で背中に両手をあてて押し止めると、勝真はまたもや不機嫌そうな声になった。
「どうしてだよ。もう言うことは言ったんだからいいだろ」
「だっ、ダメです!」
 確かに言いたいことは言い終えたが、だからといってすぐに目を合わせることなどできそうにない。
「し、しばらくそっちを向いたままでいてください……恥ずかしいから……」
 やはり慣れないことをするものではなかっただろうか。
 後悔しているわけではもちろんないけれど、どうにも居た堪れなくて仕方がない。
 だが、ここまで素直に従ってくれていた勝真は、ついにそれを翻した。
「……それはできないな」
 不敵に呟いたかと思うと、花梨の制止などものともせず振り向く勝真。
 彼が本気になったら花梨の力ごとき何の意味もありはしないのだ。
 それを思い知らされるように素早く手をとられ、もう片方の手で肩を抱き寄せられる。
 抵抗するどころか、声を上げる間さえなかった。
「おまえの顔も姿も見られないままなんて、俺には耐えられないんだよ」
 息がかかるほどの至近距離で見下ろされて、瞬きすらできない。
「――それともおまえは、俺の顔も見たくないってことか?」
「そんな! そんなわけないですよ!」
 つい今しがた好きだと告げたばかりなのに、どうしてそんな考えになるのだろう。
 慌ててかぶりを振ると、勝真は口の端を持ち上げた。
「だったらいいだろ。俺がおまえに背を向けたままでいる理由なんてひとつも無いだろう」
 余裕に溢れた口調はいつもどおりの勝真で、途端に安堵が押し寄せてくる。
 思わず小さな息を吐いた口を、ゆっくりと塞がれた。
 触れたぬくもりの優しさに、そのまま身を委ねてしまいたくなる。
「まったく、ただならない様子で何を言い出すかと思ったら……あんまり驚かすなよな」
 やがて唇を離した勝真は、いささか非難気味にそんなことを呟いた。
「え、驚きましたか?」
 逆に花梨のほうが驚いて瞬きを繰り返す。
 すると勝真はあからさまに眉根を寄せた。
「当たり前だろ」
 低いひと言だけですぐに口を閉じ、また開きながらも迷う様子を見せて、それから不自然に目を逸らす勝真。
 首を傾げる花梨を更に抱き寄せて、耳元で彼は囁いた。

「――別れ話でも切り出されるのかと思ったぜ」

「え………」
 耳朶をくすぐった声は微かに震えていたようだった。
 滅多に見ることのできない深い部分を垣間見たような、不思議な気分。
 不安にさせたことを申し訳なく思うのと同時に、それは無性に嬉しい心地だった。
「なにを笑ってるんだ」
 思わず笑み零れたところを目ざとく見咎めた勝真に、掻き混ぜるように髪を撫でられる。
 首を竦めながらも更に笑いがこみ上げてきて、花梨は声を上げて笑った。
「だって――そんなこと絶対にありえないですから」
 さっきは恥ずかしくて背中越しにしか言えなかったけれど、今度は目を見てはっきりと言えた。
 少しだけ怒ったような表情をしていた勝真も、花梨を見てその言葉を聞いて、堪えきれなくなったように相好を崩した。
「――ああ、分かってるけどな」
 強気とも本気ともつかないことを言うのは、やはりいつもどおりの勝真で。
 結局そんな彼に安心してしまうのは仕方のないことなのかもしれないと花梨は思った。


  〜END〜 (2005.12.18 written by Saika Hio)
 

 <あとがき>
 自作勝花お題より『背を向けたままで』です。
 解釈によっては切な系になりそうなお題ですが、そこは敢えてバカ甘で(笑)。

 別に勝真さんがことさら頻繁に殺し文句を囁いてるわけでもないんだろうと思うのですが(いや、勝真さんならやってるかな… ←どっちやねん)、花梨ちゃんはあんまり免疫がないのでそう感じるんだろうなと思います。花梨ちゃんはその反応だけで気持ちが丸分かりだと思うので、敢えて言葉で聞かなくても勝真さんにはちゃんと分かってると思うし♪

 ちなみにお題の元ネタは、大切恋第三段階のスチルです。

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