●● 少しずつ、気付いていく ●●
清々しいという言葉がとてもよく合う、秋晴れの朝。
こんな日はどこかへ出かけたりしたいなあ――などとぼんやり思いながら、花梨は身支度を整えていた。
(でもそんなこと言ってられないよね。やることはいろいろあるんだし)
両手でぱちんと頬を打って気合いを入れ直し、今日の予定を考え始める。
土地の五行の力を高めるのと、怨霊を鎮めるのとどちらが良いだろう。
知らず知らずのうちに思案顔になっていたことにも花梨は気付かず、廊下を歩いてくる足音にもまったく気付いていなかった。
「なんだ、やけに難しい顔をしてるんだな。何かあったのか?」
「えっ――わっ、勝真さん!」
「……そこまで派手に驚くことはないだろう」
いつの間にか背後にいた勝真が、いささか傷ついたように呟く。
「あ、ご、ごめんなさい――ちょっと考えごとしてたから」
確かに今のは少し――いや、かなり失礼だったかもしれない。
慌てて謝った花梨に、勝真はふっと苦笑を零してみせた。
「まあ、いいけどな。……で、何をそこまで深刻に考えていたんだ?」
部屋の中へ足を踏み入れながら勝真が問う。
花梨はかぶりを振った。
「いえ、別にそんな深刻な話じゃないです。ただ、今日やるべきことについて考えてただけで」
「――おまえは本当に真面目だな」
花梨の答えを聞いて微かに瞠目したように見えた勝真は、ややあってしみじみといった体でそう呟いた。
「そんなことないですよ」
「そんなことある」
否定の言葉も逆手に取られて、逆に否定し返されてしまう。
そこまで言われてしまうと更なる言葉が出てこなくなり、花梨は瞬きを繰り返して勝真を見た。
「ちょうどいい、前々から思ってたんだ」
「え、何をですか?」
何やらひとりで合点した様子の勝真。
さっぱり分からず戸惑いの視線を向ける花梨に、彼はいきなり指を突きつけた。
「おまえはいろいろ頑張りすぎなんだよ。たまには息抜きにどこかへ遊びに行くのもいいんじゃないか。ちょうどこんないい天気なんだし、今日は俺と遠乗りにでも行こうぜ」
言葉の終わりと同時に勝真は口の端を持ち上げた。
その様子は、まるで悪戯を思いついた子供のようだ。
「ええっ、でも――」
「いいから支度しろ。その間に紫姫に断ってきてやるから」
言うだけ言うと花梨の返事も待たずに立ち上がり、勝真は部屋を出て行った。
呼び止める暇もなかった。
「ご……強引だなあ」
呆気に取られて思わず呟きが零れる。
だが不思議と不快な気持ちは起こらなかった。
それどころか、微かに笑みさえ零れてくる。
――『前々から思ってたんだ。おまえはいろいろ頑張りすぎなんだよ』
ずっと、気にかけてくれていたのだろうか。
花梨自身は毎日が精一杯なだけで、殊更に頑張りすぎているつもりはないのだけれど。
勝真の目からそう見えていたのならば、少なからず心配をかけていたのかもしれない。
「うん――やっぱりたまには息抜きもいいよね」
やるべきことがたくさんあるのはもちろん分かっている。
だが、気を張り詰めすぎていても良い結果に繋がるとは限らない。
これくらい強引に連れ出してもらうことにならなければ、こんなに気楽な心地にはなれなかっただろう。
勝真がそこまで考えに入れていたのかどうかは分からないが、とにかく花梨は素直に感謝の念を抱いたのだった。
* * *
「ここで待っていてくれ」
館の門の前で立ち止まった勝真は、後ろの花梨を振り向いて言った。
「馬を繋がせてもらっているから、こっちへ連れてくる」
「あ、はい。分かりました」
花梨が頷くと、勝真は手にしていた弓を傍らに立て掛けて厩の方へ歩いて行った。
馬に乗せてもらえるとあって、知らず花梨の胸は高鳴っていく。
(どんな感じなんだろう……やっぱり自転車やバイクとは違うよね)
元の世界にも馬はいるが、乗ったことは愚か、間近で見たことすらない。
未知の体験を目前にして落ち着かない心を持て余しながらそわそわと辺りを見回すと、勝真が置いて行った弓にふと目が止まった。
(勝真さんはすごいな。弓も使えて馬にも乗れて……)
ぼんやりとそんなことを思いながら、弓を手に取ってみる。
別段、重いわけではない。
そう知った途端、好奇心が急に頭をもたげてきた。
握りの部分を左手で持ち、右手を弦にかける。
そのまま腕を伸ばして弦を引いた――つもりが、上手くいかなかった。
「わっ、けっこう固いんだ……!」
花梨の右手の力だけではとても弦を引くのには及ばない。
いつも勝真が何気なく扱っているのを傍で見ているから、つい簡単そうな印象を抱いていた。
「勝真さん……やっぱり男の人なんだなあ……」
花梨の世界でも弓道をやっている女性はいるし、女性が弓を扱えないということでもないのだろうけれど。
身体を鍛えているわけでもない花梨にはどうやら無理があるようだ。
「――何をしているんだ?」
「えっ――わっ、ごめんなさい!」
突如聞こえた声は怒っている様子でも咎めている風でもなかったが、反射的に花梨は謝っていた。
飛び上がらんばかりの勢いで振り向いた花梨を見て、馬を牽いた勝真が可笑しそうに苦笑を零す。
「いや、別に構わないけどな。何をやってるんだ」
「その……何ってこともないんですけど」
照れ笑いを浮かべながら花梨は人差し指で頬を掻いた。
「弓ってどんな感じなのかなあって思って」
すると勝真は、どことなく嬉しそうな表情になった。
「へぇ、興味を持ってくれたってわけか。で、どうだ?」
「ええと……全然ダメみたいです」
「はは、そうなのか」
ますます楽しげに勝真が笑う。
とくん、と鼓動がひとつ跳ねたような気がしたが、気にしないようにして花梨は話を続けた。
「けっこう力がいるんですね」
「そりゃ、矢に勢いをつけるにはな」
「だから勝真さんってすごいなあって思いました」
「そうか?」
素直に零れた感嘆にも、勝真は動じた風もない。
「これくらい使えなきゃおまえを守れないだろ」
花梨の手から弓を受け取りながら、なんでもないことのように勝真は言った。
――と、またひとつ鼓動が跳ねた。
気のせいだと思うには、あまりにもはっきりとした感覚だった。
「ええと……ありがとうございます」
「別に、今更改まってそんなこと言うなよ」
確かにそのとおりかもしれないが、他に何と返したらいいのか分からなかった。
何故か自然に顔が俯いてしまう。
そんな花梨を見てどう思ったかは分からないが、勝真は特に何も言わず花梨を促した。
「ほら、行くぞ。馬は初めてか?」
馬の背を撫でながら勝真が問う。
「あ、はい、初めてです」
改めて間近で見ると、馬の身体の大きさに圧倒される。
何しろその背が花梨の目線と変わらない位置にあるのだ。
一体どうやって乗ったらいいのだろう――と思った、正にそのときだった。
「えっ――わ……っ!」
いきなり足元の感覚がなくなり、ふわりと身体が宙に浮いた。
何が起こったのか分からず、頭の中が一瞬真っ白になる。
間を置かずに、何かに腰掛ける感触が身体に伝わってきた。
「どうだ、乗り心地は」
いつも頭の上から聞こえる声が何故かさほど高くない場所から聞こえてきて、やっと我に返った。
「あ……えっと」
我には返ったが、咄嗟に言葉が出てこない。
いきなり馬の背の上に座っている現状を、とにかく受け入れるので精一杯だった。
――勝真が抱え上げて乗せてくれたのだと理解したのは、それから更に数秒後。
「あ、あのっ――すごく眺めがいいです!」
とにかく何か答えなくてはと思ったら、そんな当り障りのない感想しか出てこなかった。
だが勝真はそれで十分満足してくれたらしく、花梨の後ろに飛び乗りながら笑った。
「そりゃよかった。じゃあ、しっかりつかまってろよ」
言うが早いか、返事も待たずに勝真が馬を走らせる。
花梨の動揺など気付いてもいない様子だ。
(びっくりした……あんな軽々と持ち上げられちゃうなんて)
今更のように早鐘を打ち始めた胸を花梨は必死に宥めようとしたが、どうにも治まってくれそうにない。
当たり前と言えば当たり前のことだが、勝真と自分との差異にひどく落ち着かない気持ちだ。
(そうだよね、勝真さんは――男の人なんだ)
先刻も新たにした認識を、再び心で反芻する。
勝真は男性で、花梨にできないことを難無くやってのける。
その上、気さくで話しやすくて、さりげなく気遣ってくれたりもして――。
と、ますます鼓動が暴れてどうしようもなくなっていく。
だが困惑しつつも、花梨はあることに気付いた。
(ドキドキして変な感じだけど……なんだか嬉しい気分かも)
不可解な心地だが、決して不快ではない。
それどころか浮き立つような感じですらある。
――馬の背に揺られているせいだけでは、決してない。
(なんだろう、よく分かんないけど……)
知らず口元に浮かぶ笑み。
自分でも説明できないそれを後ろの勝真に見られずに済んでよかったと、花梨はこっそり思った。
――花梨がはっきりと恋心を自覚するのは、まだもう少し先の話である。
〜END〜 (written by Saika Hio 2006.04.18 up)
<あとがき>
勝真さんのお誕生日にアップしましたが、誕生日とは何の関係もございません(爆)。
しかもラブい話ですらなく、重ね重ね申し訳ございません…!
普通にラブってるバカップルな話はいつも書いてるので、たまにはこんなのもいいかな〜なんて思いつつ書いてみた次第です。
勝真さん、お誕生日おめでとうございますv(やっぱり言っておかないとね!)