神の隠す花

1.


 今の自分がどれほど仏頂面をしているのか、目の前の少女の反応を見ていたら嫌というほど分かった。
 勝真を見るなり驚きを露に瞠目した彼女は、そのまま幾度も瞬きを繰り返している。
 だがそこから先がこの少女の気丈なところだ。
 すぐさま気を取り直したように笑顔を浮かべ、ぺこりと頭を下げたのだ。
「おはようございます勝真さん。今日は早いんですね」
 いつもならこの明るさについつられてしまうことも多々あるのだが、さすがに今日はそんな気分にはなれない。
「ああ、悪いが今日はすぐに失礼する。急に仕事が入ったんで八葉の勤めができないことを知らせに来ただけだ」
 自分でも驚くほど低い声が出ていささかの自己嫌悪に襲われたが、どうにもできなかった。
「すまないな、花梨。つい先日も同じことを言いに来たばかりだってのに」
「いえ、そんな……お仕事でしたら仕方ないですし。わざわざ知らせに来てくれてありがとうございます」
 気を悪くした様子もなく答えた花梨は、しかし勝真の言葉の中に気になる部分があったのか、僅かに小首を傾げた。
「でも、同じ……って、もしかして同じ用事だったりするんですか?」
 抜けていて頼りなく見えるのに、ときどき不意に鋭い。
 勝真は嘆息と共に頷いた。
「ああ、もしかしなくてもそのとおりだ。この間と同じように、狩りの手伝いをな」
「この間やったばかりなのに、またするんですか?」
 花梨の驚きも尤もだろう。
 上級貴族の狩りに付き合わされて不本意極まりない任務につかなければならないと、まったく同じことを告げにきたのはまだほんの数日前のことだ。
「どうもこの間は思うように成果が上がらなかったらしくてな。今日改めて仕切り直しをするんだとさ」
「また、獲物が逃げないように見張りをするんですか?」
「ああ」
「そうですか……」
 答えながら何かを考えているように見えた花梨は、勝真が何事か言うより先に再び口を開いた。
「あの……今日は誰かと一緒なんですか?」
 先日の同じ任務のとき勝真は一人だったから、話し相手もいなくてつまらないとつい花梨に零してしまったのだ。
 そのことを言っているのだろう。
 頷くことができればよかったのだが、勝真は正直にかぶりを振ってしまった。
「いいや。同僚のヤツは上手いこと逃げおおせたみたいでな。おかげさまで俺は今回も一人だ」
 花梨にこんな物言いをしても仕方ないことくらい分かっているのに、
 つい皮肉げな口調が口をついて出てしまう。
 すると花梨は僅かに身を乗り出した。
 その仕草だけで、彼女が次に何を言い出すか勝真にはなんとなく分かってしまった。
「あの――」
「……まさかとは思うが、またついてくるなんて言う気じゃないだろうな?」
 先手を取られて言葉を失ったらしい花梨は魚のように口を開け閉めしていたが、すぐに気を取り直した様子で勝真を見上げてきた。
「ダメですか?」
「駄目とは言わないが、たいして面白くもないことはこの間ので分かっただろ」
 上目遣いの懇願するような眼差しに思わず怯んだが、態度には表さず質問の答えだけを返す。
 だが勝真の予想に反して花梨は首を横に振った。
「そんなことないですよ。勝真さんといろいろお話できて楽しかったですし」
 何やら本当に楽しそうな笑みを浮かべて花梨は言う。
「だから、もしよかったらまた話し相手に連れて行ってください」 
 何の躊躇いもなくそんな風に言われては、勝真のほうに断る理由はない。
 実際、今日も長時間一人でどう暇を潰そうかとうんざりしていたのは事実だ。
 花梨の提案はありがたいと言えなくもない。
 なんだかそう言わせるような形になってしまったなと、ばつの悪い思いが脳裏を去来したが、花梨のほうに気にした様子は見えなかったので勝真もあえて何も言わなかった。
「まあ……おまえさえいいなら、ついてこいよ」
 素直とは無縁のそんな言葉で同行を承諾すると、途端に花梨は満面の笑みになって大きく頷いた。
 

 *     *     *

 
「今日はうまくいくといいですね」
 配置の場所に立ってしばらくした頃に、ひとり言のように花梨が呟いた。
「別にお偉いさんの成果がどうであろうと、俺には関係ないけどな」
「でも、今日もあまりたくさん獲れなかったら、またやり直しがあったりしませんか?」
「……縁起でもない話はやめてくれ」
 眉間に皺を寄せて心底からそう言うと、花梨は声を上げて笑った。
「だが、悪かったな。二度もつき合わせちまって」
 不意に真顔に戻って呟くと、花梨はきょとんと瞬きをした。
「そんなこと……わたしが好きでついてきたんですし。それに――」
 途端に歯切れ悪く口篭る花梨。
 訝しげに見遣る勝真へ、珍しく暗い表情になって彼女は言葉を次いだ。
「この山で神隠しみたいなことが起こってるって、勝真さん言ってたじゃないですか。だから、もし勝真さんが今日ひとりだったら――」
「は……?」
 花梨はおそらく真面目に話しているのだろう。
 だがその様子があまりにも子供じみていたから、こみ上げてくる笑いを堪えることができなかった。
「おまえ、もしかして本気でそんな話を信じてたのか?」
「だ、だって、そういう噂は本当にあるんでしょう?」
「理由もなく人が消えたりするはずないだろうが」
「でも……」
「もしそうだとしても、今は俺とおまえと二人でいるんだから大丈夫だろ」
「そ、それはそうですけど……」
 まだどこか怯えたように首をすくめる様は、少なからず保護欲をかきたてる。
 ごく自然にそんな感覚を抱いていたことに気づき、勝真は内心で幾ばくかの驚きを感じていた。
 やけに強気で向こう見ずなところがあるかと思えばお人好しで頼りない面も多く、目が離せない存在なのは確かだ。
 怨霊のような気味の悪い存在と毎日のように対峙しているというのに、こんな埒もない噂を本気で怖がるあたり、やはりごく普通の少女なのだなとも思う。

 守ると約束したのは単なる交換条件が始まりだったが、いつの間にか――それが当たり前になっているような奇妙な感覚だ。

「ま、何かあったらちゃんと守ってやるから安心しろよ」
 神隠しの噂など本当に単なる噂に過ぎないと勝真は思っているが、花梨がいくらかなりとも信じているなら、その不安を少しでも軽くしてやれたらいい。
 と言っても、そもそも自分が聞かせた噂話なのだが。
「あ、はい、ありがとうございます」
 先刻よりは安心した色を刷いて花梨が笑った。
 つられて勝真の口元もかすかに緩む。
(こいつといると、どうも調子が狂うな……)
 あれほど怖がっていたくせに、たった一言でこうまで安心できるものだろうか。 

 ――そこまで考えて、ふと気付いた。

 そうではない。
 花梨は自分が神隠しに遭うことを恐れていたのではなくて。

(……俺のことを心配してくれてた……のか) 

 後ろ頭を掻きながら、勝真は小さく息を吐いた。
 本当に調子が狂うな、という胸中の呟きは表へ出さないまま。