あるひとつの方法論

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 あるひとつの方法論


「……」
 穴が開くほどの、視線。
 先刻からずっとこうだ。
「……あの」
 しばらくは黙って耐えてみたものの、ついに居た堪れなくなって花梨は控えめに声を発した。
「えっと……あの、勝真さん……?」
「……あ、ああ――悪い」
 ようやく我に返ったように呟いた勝真が、ばつが悪そうに顔を逸らす。
 だが視線から解放された途端、何故か逆に落ち着かない心地になった。
「ど、どうかしたんですか?」
 わざとなんでもないふりを装って問うてみる。
 すると勝真は、重々しく息を吐き出した。
「……この間のことを考えてた」
「この間?」
「おまえの姿をした――天邪鬼だったか。あんなのにまんまと騙されちまいそうになってたのが我ながら情けなくてな」
 何のことを言っているのかようやく花梨にも分かった。
 この不思議な夢の世界で、二つ目の夢の小箱を開けた時のことだ。
 花梨の姿をしたあやかしに、勝真は巧妙に言いくるめられそうになっていたのだ。
「でも、あれはわたしもびっくりしましたよ。ほんとにそっくりでしたから」
「ああ……俺もあの時はそう思った。だが――」
「?」
「……よく見ればまったく似てやしないな、と思ってさ」
 言いながら、花梨を見る瞳がふっと優しい色を帯びた。
 不意打ちのような笑みに、鼓動が高鳴っていく。
「冷静になればすぐ分かっただろうにな。おまえとは纏う空気がぜんぜん違った」
「そ、そうですか?」
「ああ、おまえはそこにいるだけで安心できる何かがある。温かみがある。だがあの時は――確かに違っていたな」
 そういうものなのだろうか。
 花梨自身にはよく分からない。
 単に、自分はここにいるのにもう一人そこに自分がいるというのがありえないことだと分かっただけだ。
 それよりも、なんだかいろいろ分不相応な褒め言葉を並べ立てられたような気がする。
 先刻じっと見つめられていたときとはまた違う意味で、居た堪れなさが込み上げてきた。
「……まあ、今になって言ったところで説得力なんてないけどな」
 花梨が思わず押し黙ったのを違う意味に受け取ってしまったのだろうか。
 些か自嘲気味に勝真が口の端を歪めた。 
「え、あの、そんなことはないですけど」
 慌ててかぶりを振ってみせる。
 確かにあれは仕方なかったことだと思う。
 そもそもここは夢の中なのだし、なんと言っても相手は神なのだし、巧妙に騙されても無理はないのではないだろうか。
 実際に花梨がその立場になったら、もっとあっさり敵の手に落ちてしまうような気がする。
(うーん、そんなに落ち込むことないと思うんだけどな)
 なんとか励ますことはできないだろうかと考えを巡らせてみて、ひとつ思いついたことを花梨は元気よく口に出した。
「あのっ、次に間違えなかったらいいと思います!」
「……は?」
 意味が分からないと言いたげな顔で勝真がこちらを見る。
 その目からは先刻までの自嘲に満ちた色が一瞬で消えていた。
「もしまた同じようなことになった時に、今度は間違えないようにしたらいいと思うんです。過ぎちゃったことは仕方ないし、次はきっとそういう可能性も考えるだろうし」
 我ながらこれは名案のような気がする。
 思わず喜色満面になった花梨だったが、勝真は微妙な笑みを浮かべただけだった。
「そう、だな――確かにおまえの言うことも一理あるとは思うんだが」
 歯切れ悪く口ごもり、なにやら重々しく息をつく勝真。
「すまん。これだけ言っておいてなんだが……正直それは自信がないな」
「え、どうしてですか?」
 意外な応えに瞠目を禁じ得ない。
 次の瞬間、顔を上げた勝真は何故かとても清々しい表情をしていた。
「――おまえだから」
「え?」
「おまえの姿をしていたら、それだけできっと無理なんだ。疑おうなんて思いもしない――自分でも可笑しくなるくらいに」
「えっとー……それって」
 何かとても恥ずかしいことを簡単に言われたような気がする。
 一瞬で炎に炙られたような感覚。
 思わず両手で頬を押さえてしまう。
「もしおまえの姿の敵に襲われでもしたら、俺は反撃しようと思う余地もなくあっさりやられちまうと思うぜ」
「え、縁起でもないこと言わないで下さいー!」
 言われていることは相変わらず恥ずかしいのに、今度は背筋に冷水を浴びせられたような心地になる。
 そんな不吉なこと考えたくもない。
 慌てふためく花梨を見て面白そうに目を細めた勝真が、その腕をそっとこちらへ伸ばす。
 指先の行方を目で追おうとしたが上手くいかなかった。
 花梨の顔の横を通り過ぎた大きな手は、そのまま耳の横の髪を掬い上げた。
 心地よいくすぐったさに、動悸が早まっていく。
「だから――そばにいろよ」
 囁くような声がするりと耳へ滑り込む。
 唐突な爆弾発言に心臓が爆発するかと思った。
「え、あのっ――」
「おまえがいつも俺と一緒にいれば、偽者のおまえが現れてもすぐに分かるだろう?」
 からかうような表情だが、言っていることは理に適っている。
 花梨は思わず素直に頷いていた。
「あ、それは確かにそうですね」
「だろう? だから――」
 言いながら勝真が苦笑めいたものを零したのは、何故なのだろう。
 上手く言いくるめられたとさえ思っていない花梨には、彼が笑いを堪えているように見える理由が分からない。
 けれど問おうとするよりも、勝真が真顔になる方が早かった。
「――俺のそばにいてくれ、花梨」
 首を横に降る理由などひとつもなくて、花梨は即座に頷く。
 絡んだ視線をどちらからも外さないまま、ほんの一瞬だけ唇に温かいものが触れていった。


 〜END〜  (written by Saika Hio  2009.05.06)

【あとがき】
タイトルは仰々しいのに単なるバカップルのじゃれあいでした(笑)。
夢浮橋の勝真さんは程よくヘタレで最高だと思います(褒め言葉)。
(※以前ブログに仮掲載したものをそのまま載せ直しました)
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