ねがい

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 長すぎる秋が、いつまでも終わらない。
 そんな異変に京の民たちが気付き始めた頃。
 京を守る龍神の神子とその神子を守る八葉たちの絆は、確実に深まりつつあった。
 

「この庭の紅葉も見事だな」
 いつもよりも少し早めに紫姫の邸を訪れた勝真は、花梨と一緒に庭に出ていた。
 皆が来るまでの時間をただ部屋の中で過ごしているよりも、せっかくなら庭でも歩こうと提案してみた結果だ。
 少しでも二人になりたかったから――という秘めた想いに、花梨はおそらく気づいていないのだろうけれど。
 いつもと変わらない無邪気な笑顔で、花梨がこちらへ振り向く。
「も、ってことは、勝真さんのおうちもですか?」
「ああ、そうだな。ここほどじゃないが、かなりのもんだったぜ」
「よかったら今度見てみたいです」
「俺の家の庭なんかでよけりゃ、いつでも来ればいい」
「わぁ、ありがとうございます!」
 嬉しそうに笑いながら、律儀に勝真へ頭を下げる花梨。
 これを他人行儀と思うか礼儀正しいと思うかは、人によって違うのだろう。
 勝真の印象はどちらかといえば後者だが、もう少し砕けてもいいだろうに、とは思う。
 要求だとかわがままだとか、そういうものとは恐らくかなり縁遠いところにいる娘だ。
 それが花梨の良さであるのは間違いないのだけれど。
「……ん? おまえ何してるんだ」
 いきなり花梨がしゃがみ込んで何かを始めたので、勝真は思わず目を瞬いた。
「落ち葉を拾ってるんです」
 こちらを振り仰ぎながらも、その手はせっせと動いている。
 見ると本人の言葉どおり、そこには赤く色づいて落ちた紅葉の葉が何枚も携えられていた。
「そんなもの集めてどうするんだ。前に言っていた――焼き芋、だったか? でもするのか?」
 集めた枯れ葉の山に火をつけて芋を焼くという花梨の世界の風習は、以前聞いた覚えがある。
 だが花梨は笑顔のまま首を横に振った。
「ううん、今日は違うんです。あのですね、このまえ京の町で子どもたちに聞いたお話があって」
「へぇ、おまえ相変わらず京の町に足を運んでるんだな」
 人懐っこく物怖じしない花梨は、京の様子を知りたいと言ってはよく町を見に行っている。
 最初こそ警戒されていたようだが、近頃ではすっかり打ち解けた様子なのは見事としか言いようがない。
「はい。今ちょっと流行ってる遊びがあるらしくって。おまじないみたいなものらしいんですけど」
「まじない? そんな怪しいものが子どもの間で流行ってるのか?」
 まじないといえば主に陰陽師が操るもので、式紙などを使って奇怪な現象を起こすものではないのか。
 まさか京の町の子どもがそんなものに手を染め始めたとあっては一大事だ。
 思わず色めきたった勝真に、花梨はあわててかぶりを振った。 
「あ、いえ、そうじゃなくて。……そっか、こっちの世界だと、おまじないって意味が違うんだっけ」
 えーと、と考える様子を見せていた花梨が、言葉を探るようにゆっくりと呟く。
「願掛け……とかで通じますか? 何かに直接影響するような強いものじゃなくて、ちょっとだけ勇気を分けてくれるようなものっていうか」
「陰陽術みたいにきちんとした力とは違うってことか」
「うーん、まあ大きく言えばそういうことかな?」
 花梨の世界の認識とこの世界のそれとにいろいろと違いがあるらしいことは、勝真も既に知っている。
 今回、京の子どもたちの間に流行っているのは、そちらのものに近いという解釈でいいのだろうか。
 詳しい部分は結局よく分からないままだが、悪影響を及ぼすようなものでないのならば放っておいてもいいのだろう。
 そう判断した勝真は、それ以上細かい追求をするのはやめておくことにした。
「で? それが落ち葉と何の関係があるんだ」 
 素朴な疑問をそのままぶつけてみると、その言葉を待っていたと言わんばかりに花梨が大きく頷いた。
「そうなんです。これを使うんですよ!」
 既に両の掌からこぼれ落ちそうなほどの落ち葉を目線の位置に掲げながら、花梨はにっこりと笑った。
「落ち葉をたくさん拾って、できるだけ高く上に放り投げるんです。全部地面に落ちるまでの間に心の中で願いごとを唱えたら、叶うんですって」
「……なんなんだそれは」
 思わず苦笑がこぼれてしまう。
 いかにも子どもの遊びといった体の、他愛ない内容だ。
 一瞬でもあらぬ想像をしてしまった自分が少々情けなくもある。
 なるほど、これだけ秋が続き、落ちても落ちても尽きることのない紅葉を見ていたら、そんな遊びを誰かが思いつくのも分からなくはない。
 その遊びにここまで楽しそうに乗っている花梨も子どもと次元が変わらないような気がするのだが――と思った勝真の心中が見えたかのように、花梨は言葉を重ねた。
「ね、勝真さん、わたしたちもやってみませんか?」
「――なんとなくそう言い出すんだろうなと思ってたところだ」
 あまりにも予想通りすぎて、驚く気にもならない。
「おまえ好きそうだよな、そういうの」
 微笑ましく思う気持ちが顔に出ていたのだろうか。
 花梨は照れ笑いを浮かべて肩をすくめた。
「ええと、ひょっとして子どもっぽいってことでしょうか……否定はしませんけど……」
「なんだ、自分で認めてるのかよ」
 堪えきれずについ吹き出してしまうと、花梨が僅かに頬を膨らませた。   
「……勝真さんのいじわる」
「はは、悪い悪い、冗談だ。そう怒るなよ」
 ぽんぽんと頭を撫でてやると柔らかな髪が指の間を滑り、心地よいくすぐったさをもたらしてくる。
 束の間の感触を楽しんだ後、勝真はおもむろに足元の落ち葉を何枚か掬ってみた。
「別にいいぜ。そんなことくらい、いくらでもつきあってやる」  
「ふふっ、やったあ! ありがとうございます!」
 先刻まで膨らませていた頬をすっかり笑みの形に戻した花梨が、嬉しそうに見上げてくる。
 この変わり身の早さはやはり子どもと変わらないような気がするが、もちろんそれを言葉に出すのはやめておいた。
「で、おまえは何を願うんだ?」
 それぞれの両手に余るほどの量まで落ち葉が集まるのに、さほど時間はかからなかった。
 勝真が投げかけた疑問に花梨はしばし考える様子を見せ、やがてぽつりと呟いた。
「やっぱり――京の平和、かな」
「……」
 言うと思った、と率直に返すのは、批判めいて聞こえるだろうか。
 別に悪いとは言わないが、あまりにも花梨らしくて、どう突っ込んだらいいかほのかに迷う。
 ――自分のことよりも他人のことを優先する娘。
 選ばれるべくして龍神の神子に選ばれたのだろうと、今なら迷わず思えるけれど。
「まあ……それはそれで、願い事としては間違っちゃいないかもしれないけどな」
「あっ、でもそれは、もちろんわたしが自分でちゃんと頑張らなくちゃいけないんですけど!」
 勝真の沈黙とその後の微妙な反応を違う方向に捉えたらしく、慌てて言い募る花梨。
 知らず、勝真の口元に緩く笑みが浮かぶ。
「いや、そういうことを言いたいんじゃない」
「え?」
「そうじゃなくて……それは龍神の神子としての願いだろ」
 手のひらの上に積まれた落ち葉へ、更に上からまた新たな落ち葉が舞い降りて重なる。
 それを見るともなしに見ながら、独り言のように勝真は言った。
「おまえ個人の願いはないのか? 高倉花梨としての願いは」
「わたし個人として、ですか――」 
 そんな提案は予想外だったのだろうか。
 何度も何度も瞬きを繰り返し、やがてその視線が下へ落ちた。
「ええと、あるにはあります――けど……」
「へぇ? それは何なんだ?」
「ひ――」
「ひ?」
「っ――秘密です!」
 そう言い放った頬が、明らかに紅潮している。
 なんだか視線さえも合わさなくなってしまったように思うのは気のせいだろうか。
 先刻までと違う反応に、勝真はいささかどころではなく面食らった。
「なんだ、もったいぶらなくてもいいだろ」
「だ、ダメです! ていうか本当は、誰にも願い事の内容を知られちゃいけないルールなんですよ!」
「るーる?」
「あ、決まりってことです」
「なんだそれは。聞いてないぞ」
「だって今はじめて言いましたから」
「……」
 珍しいほどの頑なさである。
 そんなに知られたくないような――人に話すのがはばかられるような内容なのだろうか。
 どうあっても言うつもりはないらしく、真っ赤になって唇を引き結ぶ姿はいっそ滑稽ですらある。
 見ていたら自然に顔が綻んでしまい、それ以上追求する気もそのまま消えてしまった。
(まあ、でも確かに……)
 ふと胸に、自分自身の願い事が浮かぶ。
 すると次の瞬間、当たり前のように言葉が滑り出ていた。
「……そうだな。願い事なんてものは、胸に秘めておいた方がいい場合もあるな」
「それって……勝真さんのお願いもそうだってことですか? ――あ、いえっ、別に聞き出そうとかしてるわけでは決してなくて!」
 慌てて言い訳する様がまた面白くて可愛らしい。
 それにはあえて応えず、勝真は静かに目を閉じた。
(俺の、願い事。それは――)
 京職として、京の民として願うならば、やはり京の平和だ。
 けれど花梨に言ったように、自分個人の願いなら。
(俺は……)
 ゆっくりと開いた目にすぐさま映る、一人の姿。
 異世界からやってきた、京を救う役目を持つ娘。

 ずっと――役目が終わった後もずっと、傍にいられたら。
 
(いや……これは単なる俺のわがままだからな)
 花梨にとって、この京は生まれ育った場所ではないのだから。
 彼女の願いの中には、元の世界へ帰ることも含まれているだろう。 
 ならばそれを共に願ってやるべきだろうかとも思う。
 真に花梨のためを想うならそうする方がいいと、理屈では分かっているのだけれど。
(俺もつくづく心が狭いな……まったく情けない話だ)
 しかも所詮は子どもの遊びだというのに、何をここまで真剣に悩んでいるのだろう。
 内心で苦笑がこぼれた瞬間、ひとつの思いが天啓のようにひらりと舞い降りてきた。
(ああ、そうか――そうだよな)
 まるでそれこそが何よりも正しい答えであるかのように。
 願うならばこれしかないと、勝真は確信にも似た気持ちで頷いた。
「勝真さん?」
「ああ、決めたぜ。俺の願いはこれしかない」
 迷いのない口調に驚いたのか、花梨の大きな目が幾度か瞬く。
「ほら、どうすればいいんだ?」
「あ、はい、じゃあ落ち葉をこう持って……せーの、で放り投げましょう」
 落ち葉を山盛りに持った両手を掲げ、花梨がそう提案する。
 勝真もそれに倣った。
「じゃあいきますよ。せーのっ――!」
 澄んだ声が青空に吸い込まれた次の瞬間、四つの手から放たれた落ち葉が錦のように空を舞った。
 風に乗り、くるくると回りながら落ちる葉を、輝く瞳で花梨が見上げている。
 その髪に肩に落ち葉は降り積もり、細い身体を鮮やかに彩っていく。
(花梨――)
 もしも叶うならば。


 ――おまえの笑顔がこれから先もずっと、曇ることのないように。


 おまえが笑っていてくれるなら、そこには幸福があるという証であるはずだから。 
 できることならば、それをいつまでも――誰よりも近くで見ていたいけれど。
 その幸福の中のいちばん大切な位置に、当たり前のように存在していたいけれど。

(だから、もしも――もしもおまえも同じように、そう望んでくれる日が訪れたなら)

 その時は直接伝えよう。
 願いではなく、確かな意志を。


 ただ一人のためだけのこの想いを、自分だけの言葉で。

   
 (Saika Hio 2012.4.18)

【あとがき】
勝真さんお誕生日おめでとうございます!
今年もお祝いできましたよやっほう!

書くものがお誕生日ネタでなくなって久しいですが、ついに春の話ですらなくなりました(笑)。
でも毎年この日にこうして更新できていることが私にとっては何より意味のあることなので、それでいいことにしておきます(人はそれを自己満足と呼びます)。

勝花と呼べるのかさえ微妙なブツですが、花梨ちゃんが頑なに隠し通した“個人の願い”は勝真さんと同じなんだよーということで。
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