どこにいても

戻る |

 南斗宮の庭は果てが見えないほど広い。
 もしかしたら本当に果てなどないのかもしれないが、真相は分からない。
 何しろここは天界だ。
 自分たちの常識で計り知れない世界だというのは既によく分かっている。
 この庭に果てがあろうがなかろうが別にどちらでもいいのだが、できればあまり広くない方がありがたいとは思う。
 特に今、花梨は心底からそう願っていた。
(うーん、人を探すにはもう少し分かりやすい方がいいなあ……綺麗は綺麗なんだけど)
 きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていると、つい珍しい花や木に目が向いてしまう。
 それがまた歩みを遅くする原因になっていることに気づき、花梨は慌てて前を向いた。
 前方に東屋がある。
 近づいていくと、いくつかの人影が見えた。
 期待に高鳴り始めた胸は、しかしすぐにその勢いを弱めることになる。
 何故なら、探していた人物はそこにいなかったからだ。
「よ、花梨」
「ああ、おまえか。どうした」
 百年前と百年後の地の青龍がそれぞれ挨拶をくれたのとほぼ同時に、花梨も行儀よく頭を下げた。
「こんにちは、天真さん九郎さん」
 違う時代の八葉とこんな風に顔を合わせて挨拶を交わすなど、未だに信じられない心地だ。
 しかし天界の不可思議さはそればかりに留まらないので、いつの間にかなんとなく慣れてしまった。
 さりげなさを装って視線を動かしてみたが、周囲に彼ら以外の人影は見当たらない。
 同じ地の青龍同士、もしかしたら一緒にいるのかもしれないと思ったのだが――残念ながらその期待は外れたようだ。
「……誰かを探しているのか?」
「え」
 いきなり直球の質問をぶつけられ、花梨の心臓が跳び上がった。
 溜息を落とさないように気をつけたつもりだったのに、落胆の色を読み取られてしまったのだろうか。
 問うた九郎はいつもと変わらず、どことなく怒っているようにも見える瞳でじっとこちらを見ている。
 別に怒っているわけでもなんでもなく、単なる素の表情なのだと分かっているので怖くはないが――どうにも居た堪れない。
「い、いえ、あのー……」
 正直に告げるのはなんとなく気恥ずかしくて、曖昧に言葉を濁してしまう。
 すると九郎の隣で、天真が溜まりかねたように苦笑を零した。
「――勝真なら、あっちの方に歩いてくのを見たぜ」
「え……えええっ!?」
 今度こそ本気で花梨は跳び上がった。
 その名前をひとことも出してはいないのに、どうして。
「ど、どうして分かるんですか、わたしが勝真さんを探してるって――あ」
 慌てて両手で口元を押さえたが、既に後の祭りである。
 語るに落ちる、というのは正にこういうことを言うのだろう。
 隠さなければならないわけではないので別に構わないと言ってしまえばそのとおりだが、そういう問題でもないような気がする。
 二人は顔を見合わせ、それからほぼ同時に花梨へ視線を戻した。
「いやー、どうしてと言われても説明に困るんだけどな……」
「だが、やはり探しているのは事実なのだな」
 違うとは言えず、かといってはっきり肯定するのも恥ずかしくて、思わず俯いてしまう。
 と、不意に大きな手でぽんぽんと頭を撫でられた。
「ははっ、おまえ素直でいいな。なんか全力で応援してやりたくなるぜ」
 見上げると天真が何やらとても嬉しそうに笑っている。
 その隣の九郎も心なしか表情が和らいでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
「――探しているのなら、早く行った方がいいぞ。また違う場所へ移動することも考えられるからな」
「あ……はい、そうですね」
 九郎の冷静な指摘に、花梨は素直に頷いていた。
 踵を返しかけたところで大事なことを忘れていたと気付き、再び二人へ向き直る。
「あのっ、ありがとうございました!」
 深々と頭を下げ、改めて駆け出す。
 そのまま振り返らなかったから、背後で二人の地の青龍がもう一度顔を見合わせていたことなど花梨は知る由もなかった。




(あ……いた)
 鮮やか過ぎる緑の葉の向こうに見慣れた後姿を見つけた時、花梨の鼓動がひとつ大きく跳ねた。
 襟足の長い、淡い色の髪。
 水色の着物の袖から伸びる、がっしりとした両の腕。
 いつも守ってくれる広い背中。
 どこにいても絶対に探し出せる、なんて自惚れた気持ちは抱けないけれど。
 ――どこにいても、気がつけばきっと目で追ってしまうのだろう、とは思う。
 ほんの少し姿が見えないくらいで、こんな風に探しに出てきてしまうほど。
 それは、この不思議な世界で何が起こるか分からないから心配だなどという建前より、もっと利己的な本音によるもので。
 大っぴらに口にするには恥ずかしすぎる、ひとつの想い。
(……なんとなく、天真さんと九郎さんには見透かされてるっぽかったけどね……)
 すべてお見通しと言わんばかりの二人の態度は非常に居た堪れなかったが、彼を目の前にしたらそれもどこかへ飛んでしまった。
 ――そこに彼がいてくれるだけで、こんなに安心できる。
 それはもう、理屈で説明できるような事柄ではなくて。
 けれど微妙な距離を保った地点で花梨の足はぴたりと止まった。
(ええと……なんて言って声をかけようかな?)
 取り立てて用事があるわけでもない。
 ただ姿が見えないから探しに来たなどと、まさか言えるはずもない。
 思考をぐるぐると引っ掻き回しながら、無意識に足元の草を踏んでしまったらしい。
 渇いた音が響いた一瞬後、振り向いた視線が真っ直ぐにこちらを見た。
「――花梨?」
 驚きに見開かれた瞳が、すぐに和らいで微笑む。
 それだけで既に花梨の鼓動が暴れだしていることなど、きっと彼は知らない。
「なんだ、どうした?」
「あ、ええと……こんにちは勝真さん」
 ここで挨拶をするのが正しいのかどうかよく分からないが、少なくとも間違ってはいないと思う。
 すると勝真の笑みが面白がるような色を帯びた。
「はは、なんだ改まって。というか、一人か? 何をやってるんだこんなところで」
「えーっと……勝真さんは何をしてるんですか?」
 答えに窮したので質問をそのまま返してしまう。
 勝真は別段気分を害した風でもなく、ああ、と頷いた。
「俺は、弓の鍛錬ができそうな場所を探していたんだ」
 言いながら、手にしていた弓を掲げてみせる勝真。
「外は怨霊が出るからな。この敷地内なら安全だろ」
「あ、なるほど……」
 確かにこの世界でも怨霊と戦わなければならず、その為の鍛錬も必要だろう。
 生真面目な勝真らしい行動だ。
 素直に納得した花梨と対照的に、勝真は再び質問を投げかけてきた。
「で? おまえは何をしてるんだ」
 上手くはぐらかせたと思ったのだが、甘かったようだ。
 けれど――やはり真実を告げるのは羞恥心が邪魔をした。
「ええと、そのー……お散歩、です」
 使い古された言い訳しか捻り出せない自分が歯痒い。
 だが幸いにも、深く追求されることはなかった。
「そうなのか。まあ、いくら南斗宮が安全とは言ってもあまり一人でフラフラするなよ」
「あ、はい……気をつけます」
 こんな些細な遣り取りがとても嬉しいと思ってしまうことを、勝真は気付いているだろうか。
 元の世界にいた時と変わらない、不器用な優しさ。

 ――側にいるだけで、気持ちがふわりと温かくなる。

 どこにいても、この人の側であるだけで。
「あの――勝真さん」
 胸の奥の衝動が、自然に言葉を紡がせていく。
 普段なら言えないようなささやかな願いを形にしてしまってもいいように思うのは、ここが夢の世界だからだろうか。
「い、一緒にいても……いいですか……?」
 告げた途端に顔から火が出そうになった。
 勝真は一瞬だけ驚いたように瞠目したが、すぐにその双眸が笑みの形になる。
 なんとなく、先刻よりも――いつもよりもずっと嬉しそうに見えるのは、気のせいだろうか。
「何を言ってるんだ今さら。いいに決まってるだろ」
 優しい声が耳朶をくすぐる。
 嬉しさと安堵といろいろな感情が混ざり合い、花梨は満面の笑顔を輝かせた。






「……他の奴らに後れを取ってるだとか言ってたのはどこのどいつだよ、なあ九郎?」
「ああ……自分自身のことは気付かないものなのだろうな」
 辛うじて勝真と花梨の会話が聞き取れるくらいの距離で、二人の地の青龍が囁きあう。
 もちろん巧妙に姿を隠すのも忘れてはいないので、向こうから気付かれる様子はまったくなかった。
「そういうおまえもそうなんじゃないのか?」
「なっ……! お、おまえこそどうなんだ!」
「お、おい声でけぇぞ!」
「っ……! すまない……」 
「……やめとこうぜ。どう考えても不毛だろ」
「そ、そうだな……」 
 互いに頷いて会話を打ち切った二人はどちらからともなく立ち上がり、その場を後にしたのだった。


 (2010.4.18 Saika Hio)

【あとがき】
勝真さんのお誕生日は何があってもお祝いしたいという意地だけはあれど、お誕生日ネタはもう出てこないので普通の話を書きました。
せっかく夢浮橋にいろいろ萌えが散りばめられているのにほとんど夢浮橋ネタ書いたことがないので、今回はその方向で。
他の奴らに後れを取って云々っていうのはPS2版の後押しイベントで勝真さんが言ってたセリフです。
後押しイベントは他時代の二人がすごい微笑ましく見守ってくれてるのが最高に楽しいですね!

こんなんですが、勝真さんお誕生日おめでとうございます。

戻る |