さくらのち
さくらのち
もともと昔から、物欲はあまり強い方ではない。
だから、誕生日という日に何か欲しいものを贈り物として貰えると聞かされても、とっさには何も浮かばなかった。
そもそも花梨の世界のそんな風習をこちらは初めて知ったのだから、無理からぬことだと思うのだが。
しかし一見のんびりとした印象の花梨は、こういうときだけ何故か妙に頑固だった。
「物じゃなくても、したいこととか行きたい場所とか……何かないですか?」
そこまでこだわる理由も実を言うと勝真にはあまりよく分からなかったのだが、残念そうに――或いは困ったように、だろうか――眉尻を下げる花梨を見ていたら、さすがにそれをそのまま口に出す気にはなれなかった。
「そうだな……じゃあ、遠乗りにでも行くか。ちょうど気候も良くなってきたしな」
わざわざ特別なことのように言わなくても、勝真としては行きたいときに花梨を誘えばそれでいいと思うのだが、やはりそれも胸の内に留めておくことにする。
その判断がどうやら正しかったらしいと分かったのは、ほんの一瞬後だった。
勝真の提案を聞いた途端、花がこぼれるように花梨は笑ったのだ。
「はい、じゃあそうしましょう!」
かくして卯月も半ばを過ぎた「特別な日」に、二人は一緒に出かけることになった。
* * *
「おまえ、今日はまた一段と上機嫌だな」
もともと花梨は表情が豊かで何でも楽しもうとする傾向にあるので、近場だろうが遠出だろうが徒歩だろうが馬だろうがいつも嬉しそうにしているのだが、どう見ても今日はそれに拍車がかかっているような気がする。
苦笑混じりに何気なく呟くと、勝真の方が圧倒されそうなほどの勢いで花梨は頷いた。
「だって勝真さんのお誕生日ですよ!」
だってと言われても返す言葉に困るのだが、花梨の中で何か納得できているのならそれでいいのだろう。
勝真としては、すぐ目の前でこの笑顔を独り占めできている今の状況だけで既に満足なのだから。
道々には春の花が咲き、山の方は濃い緑に包まれている。
昨年は長い秋のまま時間が止まっていた京の町も、今は冬を越えて更にその先の季節までやってきた。
穏やかな陽射しの中で屈託なく笑う目の前の少女が成し得たことは、改めて思うまでもないほど明らかな偉業だったのだと今更のように染みる。
(まあ、本人はあまり自覚してないみたいだけどな)
京を救ったことだけでなく、こうして一緒に過ごせることも勝真にとってはまるで夢のようだ。
何もかもをあきらめていた勝真の、果てのない絶望をいとも簡単に打ち砕いた少女。
彼女を守る存在だと言われながら、そのつもりでずっと傍にいたけれど。
守られたのも助けられたのもいったいどちらなのか分からないほどだ。
本人に告げても、おそらく首を傾げられてしまうのだろうけれど。
微妙に複雑な思いで花梨を見遣ると、彼女は辺りの木々をしきりに見回していた。
いったい何をしているのかと思ったが、答えはすぐに本人の口から明らかになった。
「うーん……やっぱり桜はもう終わっちゃってますね」
「は?」
突拍子がなさ過ぎて、意味を理解するのに数秒を要する。
周囲には確かに桜の木がいくつかあるが、そのどれもが既に葉桜だ。
「そりゃそうだろう、桜は開いたと思ったらあっと言う間に終わっちまうからな」
「そうですよね……もしかしたら一本くらいって思ったんですけど」
「無茶言ってんなよ」
子どものような物言いを聞いて思わず苦笑がこぼれる。
桜が見頃だったのは弥生の終わり頃から卯月の始めにかけてだ。
最小限に見積もっても十日は遅いだろう。
「だいたいおまえな、卯月も半ばを過ぎたこんな時期に桜を見ようと思うこと自体が間違ってるんじゃないか?」
あくまで軽口のつもりで、からかうように笑ってやる。
すると花梨もばつが悪そうに肩をすくめながら笑みを見せた。
「うー、そ、それはそうかもしれないですけど……」
言いながらもまだ諦めきれない様子がありありと見て取れる。
珍しい姿だ。
物事を簡単に諦めないのは確かに花梨の美徳だと勝真も知っているが、これはそういう類のことではない。
どちらかというとむしろあっけらかんと流してしまいそうな事柄のように思えるのだが、何かあるのだろうか。
「なんでそこまで桜にこだわるんだ?」
何気なく問うてみる。
すると花梨は一瞬口ごもり、言葉を探すように口を開いた。
「ええと、この季節にいちばん綺麗なお花って、やっぱり桜だと思うんです」
不意打ちのような笑顔が、次の刹那にこぼれた。
思わず見惚れてしまうほどのそれは、彼女が綺麗だという桜など比べ物にならないほどだと勝真は思った。
「だから、勝真さんのお誕生日を桜の花と一緒にお祝いできたら素敵だなー、って」
「……馬鹿だなおまえは」
こみ上げてくる愛しさと共に、形になったのはそんな素直でない言葉。
苦笑を禁じ得ないままで呟いたそれを、花梨がどう受け止めたのかは分からない。
何か言葉を返そうとはしたのだろう。
口を開こうとしたのは分かった。
けれど、その先は続かなかった。
それより素早く、勝真の両腕が花梨の身体を抱き締めてしまったから。
「どんな花がどれだけ咲いていようと、どっちだっていいさ。おまえがいてくれれば――それでいい」
それは間違いなく勝真の本音であり、他に望むことなど何一つありはしない。
だが、花梨の気持ちを嬉しいと思うのも本当で。
およそ自分らしくないと思いながら、自然に言葉が滑り出ていた。
「だが……そうだな、もしかしたらこの先一回くらいは、少し遅くまで残っていてくれる桜もあったりするかもな」
「え?」
「来年か再来年か、その次か――そのうち一度くらい、春の遅い年があるかもしれないぜ」
来年も再来年もその先も、これから先――ずっと。
桜が見られても見られなくても、誕生日を一緒に過ごそう。
言葉にはしなかった心の声はきちんと伝わっただろうか。
照れ隠しも相俟って、ずいぶんと回りくどい言い回しになってしまったけれど。
覗き込んだ腕の中で花梨が嬉しそうに頷いたから、それだけで勝真は満足だった。
何度も触れ合った唇が、ゆっくりと重なり合う。
この世に生まれたことを感謝する日がくるなど考えたこともなかったと、温もりの広がる胸の中で勝真は穏やかに思った。
〜written by Saika Hio 2009.4.18〜
【あとがき】
意地でもこの日だけはお祝いしてやるぜー!ということでちょっとがんばってみました。
がんばったとか言うほど大したものではありませんが。
4月も下旬になりかかろうという頃ではさすがに京の桜は散ってるよなーというだけの他愛のない話でした。
なのでタイトルは「桜の地」ではなく「桜後」です。
どうでもいいことですね(まったくだ)。
勝真さん、お誕生日おめでとう!
今年もお祝いできて幸せです!!