想いは、きっと

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想いは、きっと


「うーん……どうしようかなあ」
 麗らかな春の陽が降り注ぐ濡れ縁で、花梨は何度目か知れない溜息をついた。紫姫が近づいてきていたことにも気付かないほど、考えに没頭していたらしい。
「神子様、大丈夫ですか?」
 おずおずと声をかけられ、慌てて顔を上げた。
「あ、ごめん紫姫。うん、大丈夫だよ」
「ですが卯月に入ってからこちら、そのように思い悩んでおられるご様子で……何かお困りのことでもございますの?」
「ううん、別にそういうわけじゃ……あ、んー、困ってるって言えば困ってるんだけど」
 余計な心配をかけてしまったなと花梨は反省した。
 花梨にとっては重大な問題だが、紫姫を煩わせるような類のことではない。
 隠していても更に心配させてしまうだけだろうと判断した花梨は、考えていた内容を話すことにした。
「ええとね、確かこっちの世界では数え年で、お正月にみんな一緒に歳を重ねるんだよね」
「はい、そうですわ」
「でもわたし達の世界では、一人ずつの生まれた日を誕生日って言って、みんなばらばらな日に歳を取るの」
「そうなのですか」
 紫姫が目を丸くする。
 こちらの世界の常識からは大きくかけ離れた風習なのだろう。
「それでね、こないだ……勝真さんの誕生日がいつなのか聞いてみたの」
「勝真殿のお生まれになった日ですね。いつなのですか?」
「今月の、十八日なんだって」
「まあ……もうすぐですわね」
「うん、そうなんだよね」
 そうなのだ、もうあと幾日もない。

 花梨が選んだ、花梨を選んでくれた、たった一人の人の生まれた日。

「誕生日には、その人に贈り物を贈ったりしてお祝いをするの」
「それは素敵ですわね」
「うーん、確かにそうなんだけどね……」
 ほんわかと笑う紫姫と対照を成すように、花梨は曖昧に言葉を濁した。
 そんな花梨を紫姫が訝しげに見る。
 大切な人のお祝いをする話で何故困っているのか、分からないという瞳で。
「あの……何か不都合なことでもおありなのですか?」
「不都合っていうか……お祝いの品物が決まらなくて」
「まあ……」
 ようやくそこで紫姫にも状況が呑み込めたらしい。
 頬に小さな手を当てて、ぱちくりと瞬きをした。
「それでお悩みだったのですね」
 改めて言われるとひどく恥ずかしいが、事実なので花梨はこっくりと頷いた。
 本当に、どうしたらいいのか分からないくらい途方に暮れていたところだ。
 何をあげたら勝真が喜んでくれるのか、皆目見当もつかない。
「あの、神子様……わたくし思うのですけれど」
 おずおずと口を開く紫姫。
 花梨は頷いて続きを促した。
「お祝いは、品物でなければならないのですか?」
「え? うーん、別にそういうわけでもないかな……何かその人の喜ぶことをしてあげるとか」
「それでしたら、お話はもう少し簡単になるのではないでしょうか」
「え?」
 瞬きながら紫姫を見ると、にっこりと嬉しそうに笑っている。
「勝真殿のお喜びになることを考えてみたらいかがでしょう?」
 無邪気な笑顔で紫姫は続ける。 
「ええ。神子様にしかできないことが、きっとあるはずですわ」
「わたしにしか、できないこと……?」
 にこにこと笑う紫姫を見ていたら、目から鱗が落ちるような思いが湧いてきた。
 なるほど、物品を用意することばかり考えていたけれど、少し視点を変えてみたほうがいいのかもしれない。
「うん……そうだね。ありがとう紫姫、もうちょっと考えてみるよ!」
「神子様のお役に立てたのでしたら何よりですわ。素敵なお祝いになることを願っております」
 ようやく、花梨の顔にも笑みが浮かんだ。


 *     *     *


「どうした、改めて呼び出すなんて。毎日会ってるだろ」
 改まった文をもらって花梨の元へやってきた勝真は、若干当惑しながらもまんざらではなさそうに見えた。
「えっと、あの……今日は、勝真さんのお誕生日だから」
「ん? ああ、前に言ってた、生まれた日とかいうやつか」
 花梨から聞いたことをしっかり覚えていてくれたらしい。
「はい、それで、ぜひお祝いしたくて」
「そうか、何をしてくれるんだ?」
 勝真は嬉しそうに花梨の瞳を覗き込んだ。
 実は花梨の方は緊張で心臓が飛び出しそうなほどなのだが、どうにかそれを押し殺して言葉を紡いだ。
「あのっ――座ってください」
「? こうか?」
 言われるまま勝真が腰を下ろす。
 その真横まで行き、花梨は更に要求を述べた。
「ええと、目を……瞑ってもらえますか」
「? ……これでいいのか?」
 明らかに疑問を抱きながらも、言われるまま勝真は目を閉じてくれた。
 ほんの少しだけ迷いが生じたが、ここまできたら後には引けない。
 花梨は大きく息を吸い込んだ。
「お――お誕生日おめでとうございます!」
 言い終わらないうちに、勝真の頬に軽く唇を寄せる。
 触れたか触れないかくらいの一瞬が、花梨の精一杯だった。
「………」
 勝真は声を上げることもなければ飛び退くこともなかった。
 ただ、開いた瞼を何度も瞬き、頬に指先を滑らせて、それから花梨に視線を移しただけだった。
「あ、あの……」
「……つくづく突拍子もないことをする奴だな。さすがに驚いたぜ」
「ご、ごめんなさい」
「別に謝ることじゃないけどな」
 怒らせてしまったのかとも思ったが、そうではなかったらしいと知って花梨は心底から安堵した。

 紫姫の言葉に手がかりを得て、花梨が考えたこと。
 花梨にしかできないこと――それは。

 勝真を好きでいること。

 それを、勝真本人に伝えること。

 言葉で伝えることも考えたけれど、改まって言うのも気恥ずかしくて。
 だからといって今の行為が恥ずかしくないかと言われると、それはもう穴を掘って埋まってしまいたいほど恥ずかしい。

 でも――今の花梨にできるのは、やっぱりこれしかなかったように思うのだ。

「勝真さんに、何をしたら喜んでもらえるかなあっていろいろ考えて……それで」
 俯いたままぼそぼそと言い訳めいたことを呟く花梨。
 と、勝真が小さく溜息を零した。
「おまえな……誘ってるのか?」
「え、何がですか? どこへですか?」
 話が見えず、思わず顔を上げて首を傾げてしまう。
 そんな花梨を見て、勝真は小さく吹き出した。
「……そんなわけないか」
 何故か肩を震わせて笑いを堪えていた勝真は、突如花梨の頭をぽんぽんと撫で、それから肩を抱き寄せて口付けを落としてきた。
 唇の触れ合っていた時間がいつもより長かったけれど、それ以外はいつもと変わらない流れのような気がする。
 これで本当にお祝いになっているのだろうか。
 そんな花梨の思いを読み取ったかのように、勝真が耳元で囁いた。
「ありがとうな、花梨」
「え、あ、はい、どういたしまして」
 すぐ近くにある二つの瞳は、とても嬉しそうに笑っている。
(一応、お祝いは成功したのかな……?)
 それは勝真に聞いてみなければ分からないことなのだろうけれど、彼が笑っているのが答えだと思っていいのだろうか。
 いつもよりも少しだけ抱き締める力が強いような気がするから、たぶんそうなのだろうなと花梨は思っておくことにした。 

 (2008.4.18 Saika Hio)


【あとがき】
「誘ってるのか?」「どこへですか?」という天然な遣り取りが大変楽しかったです(笑)。
紫姫の思う「神子様にしかできないこと」が何だったのかは不明ですが(苦笑)。
勝真さん、お誕生日おめでとうございます!
大好きです!!!

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