Penalty…?

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※FDのラギの『あなたとの物語』のネタバレを多大に含みます。



 週末の空はいつもよりも鮮やかに見える。
 ラティウムの気候はある程度一定に保たれるようになっているらしいので、それはおそらく気のせいなのだろうけれど。
 だがどうしても自分の目には、飾り窓から降り注ぐ朝の光は普段よりも鮮明な色を湛えているようにしか見えない。
 そう思う理由は悲しくなるほど明白だ。
「あー……ったく、なんで休みの日の朝っぱらから自習室の掃除なんてしなきゃなんねーんだ……」
 己の背丈とさほど変わらない長さの箒を手に、既に何度目か分からない溜息をラギは落とした。
 しかしながら、恨み言に普段のような勢いはない。
 本気で憤る筋合いはないのだと、自分自身がいちばんよく分かっている為だ。
 平たい言い方をすれば――いわゆる自業自得というやつなのである。



 ――話は数日前に遡る。

 いわゆる恋人同士という間柄であるルルと、些細なことで喧嘩をした。
 否、ラギには些細なことに見えたが、ルルにとっては深刻な問題だったことが後から分かったのだが。
 ともかくラギが話を深く聞かないまま頭ごなしに撥ねつけてしまった為に、ルルは何日も部屋に閉じこもってしまった。
 きちんと話をしようと思ったのにその決意をすっかり削がれてしまったラギは、業を煮やして実力行使に出たのである。
 すなわち、女子寮に乗り込むという――今にして思えば暴挙としか言いようのない行動に訴えたのだ。
 言い訳がましいかもしれないが、別に鏡の魔獣を脅すつもりが最初からあったわけではない。
 だが頭に血が上った状態でドラゴンの本能に文字通り火がついてしまっては、大抵の魔物は屈服するしかなくなる。
 かくして哀れな魔獣は、横暴なドラゴンの前で職務を一時的に放棄した。
 おかげで女子寮に乗り込むことに成功したラギだったが、あいにく暴挙はそれだけに留まらず、ルルの部屋のドアを蹴り壊すという狼藉まで働いてしまったとあっては、もはや言い逃れる余地などありはしない。
 嵐を巻き起こした翌日早々に、ラギは寮監督であるエルバートに呼び出された。
 自分で呼び出しておきながら気の毒な程おどおどしていたエルバートは、しかし用件だけは教師らしくはっきりと告げてきた。
 つまり――寮の規則を破り寮内を騒がせて器物を破損したことに対する、罰則を。
 自分で振り返ってみても相当ありえないことをした自覚はある。
 それによってルルとの仲がこじれずに済んだのは事実なので後悔はしていないが、やりすぎたのは間違いない。
 だからどんな厳しい罰を言い渡されるのかと内心でしっかり腹を括っていたのだが、意外にもそれはひどくあっさりとしたもので、違う意味でラギの予想を超えていた。
 ラギに課せられた罰は、週末に一人で自習室の掃除をすること、というものだったのである。
『は……? そんなんでいいのか?』
 思わずそう聞き返してしまったのも無理のないことだったと思う。
 もちろん、貴重な週末を拘束されるだとか自習室はそれなりに広いだとか、いわゆる罰則的要素が含まれていないわけでは決してない。
 しかもミルス・クレアの環境整備はすべてプーペに任されているので、生徒が掃除をするというのはそれだけで特異な事態であると言えなくもない。
 だがあれだけのことをしでかした生徒に対しての罰としては、いささか軽くはないだろうか。
 そう思うのは、ラギ自身の後ろめたさのせいなのかもしれない。
 拒否する権利などあるはずもないと思ったから、ラギは素直に頷いた。
 するとエルバートはこちらが驚愕するほどの勢いで、安堵の笑みと共に言ったのだ。
『やってくれますか、ああよかった……! ラギさん、あなたはやっぱり、本当は素直な良い子なんですね』
『……』
 なんとなく、この頼りない教師に「素直な良い子」扱いをされるのは自尊心という意味に於いて引っかかりを覚えて止まないのだが、そこを深く考えるのはやめておいた。
 黙っているラギを見てどう思ったのかは知らないが、エルバートは心底から安心したように顔を綻ばせている。
 おそらく――ラギがあっさり従うとは思っていなかったのだろう。
 掃除を命じられた途端に「なんでオレがんな馬鹿馬鹿しいことしなきゃなんねーんだよふざけんな燃やすぞてめー」くらいのことを言われると思っていたのではないだろうか。
 ものすごくあり得る可能性だと思い、知らず重々しい溜息がこぼれた。
 だがこの先生相手にそんなことを追求しても仕方ないのだろう。
 悪気がないのは明白であるし、そう思わせるだけの要因が自分にあるのも分かっている。
 エルバートを困らせたいわけでも怯えさせたいわけでもなく、一応自分の非も理解しているつもりのラギは、こうして休日に自習室の掃除をすることとなったわけである。


 はぁ、と何度目になるか分からない溜息が出たのは、何に対しての感情だったのだろう。
 罰掃除に対する忌々しさか、それとも自分自身に向けてのものなのか。
 どちらも間違ってはいない気がする。
 元はと言えば自分の不甲斐なさが招いたことだ。
 ルルの気持ちを分かってやれなくて、不安にさせて。
 嫌いにならないで、と言ってルルは泣いていたが、それを言うべきなのは彼女ではなかったはずだ。
(……つーかなんであいつは、オレを好きでいてくれるんだ?)
 ルルの全身から溢れるオーラは、常に全力でラギへと向いている。
 それは自惚れでも何でもないはずだ。
 だが女に好かれるような要素を皆目持ち合わせていないことを自覚している身としては、何故ルルがあそこまでまっすぐな想いを寄せてくれているのか正直よく分からない。
(オレがあいつを好きな理由なら、簡単なんだがな)
 陽だまりのような笑顔。
 困難に立ち向かっていく度胸。
 凹んでもすぐ立ち直る明るさ。
 鈴のような笑い声。
 外見も中身も、彼女のすべてが愛しさに溢れている。
「――ラギ」
 こうやって呼びかけてくれる声も好きだ。
 彼女がラギを呼ぶ時は大抵、輝くような笑顔が一緒だから。
 だから今回の出来事のように、あんな思い詰めた表情で名を呼んで欲しくはない。
 ルルがいつも笑顔でいてくれる為に自分がもっとしっかりしなくてはならないのだと、分かってはいるのに。
「ねえラギ……ラギ?」
 そう、こういう不安そうな呼び声は聞きたくない。
 たとえ自分の想像にすぎなくても、いつも笑っていて欲しいのに――。
「ラギってば!」
「どわぁっ!」
 業を煮やしたような声と共に肩を叩かれ、振り向いたラギはその場に危うくひっくり返りそうになった。
「――な、ほ、本物かっ!?」 
「え? なに言ってるのラギ? わたしの偽物とかは、たぶんいないと思うんだけど……」
「いや……なんでもねーから気にすんな」
 ピントのずれた返しが、今はひたすらにありがたいと思った。
 大きな瞳を瞬いてこちらを見つめるルルを敢えて見ないようにしながら、長い長い溜息をついてどうにか心を落ち着かせる。
 両手で握り締めたままだった箒にがっくりと全体重を預けながら、ようやくラギは改めてルルへと向き直った。
「つーかおまえ何やってんだ、こんな朝っぱらから……だいたい今はここ入れねーようになってたはずだぜ」
 ラギの罰掃除の為に自習室は一時閉鎖扱いになっているはずだ。
 そして勉強熱心な生徒の学習意欲を阻害しないようにという配慮だということで、今は休日の早朝である。
 しかしラギの質問を受けたルルは、心外だと言わんばかりの様子で僅かに口を尖らせた。
「だって……ラギのことが気になって早くに目が覚めちゃったんだもん」
「な……」
「それに、入れないって言ってもただ立て札が置いてあるだけよ。別に魔法で閉ざされてるわけじゃないから、入ろうと思えば誰でも普通に入れると思うわ」
「……」
 いっそ魔法で封鎖してくれていた方がありがたいような気がする。
 誰でも入れるということは、いつ誰が入ってきてもおかしくはないということではないか――ちょうど今のルルのように。
 ――できることなら、ルルにはいちばん見られたくなかったのに。
「ごめんねラギ。元はと言えばわたしがわがまま言っちゃったから……」
「別におまえが気にすることじゃねーよ」
 ルルならこう言うだろうと思ったとおりのことをそのまま言われ、知らず吐息が零れる。
 だから見られたくなかったのだ。
 ――まあ単純に、このみっともない様を晒したくなかったというのもあるのだが。
「鏡の魔獣を脅したのも、おまえの部屋のドアを壊したのも、オレだ。だからおまえが気にすることは何にもねーんだよ」
 きっぱりと言い切っても、ルルはまだ納得できないと言いたげな顔をしている。
 そして、いかにも彼女が言いそうな言葉その二が、これまたラギの予想通りに艶やかな唇から紡がれた。
「でも……でもやっぱり違うと思うの! ねえラギ、わたしもお掃除を手伝――」
「断る」
 きっぱりを通り越し、斬って捨てるかの如く遮る。
 あまりの一刀両断ぶりに、ルルはきょとんと瞬きを繰り返した。
「――え」
「断るっつったんだ。それはぜってー聞けねー」
「ど……どうして……?」
「どうしても何も、当たり前だろーが。これはオレがやらなきゃなんねーことなんだよ」
 きっかけがルルにあったとしても、それとこれとは話が別だ。
 課せられた使命を誰かに――ましてやルルに――委ねるなど、絶対にしたくない。
 してはならないことだ。
 田舎の祖父もきっと厳しい表情でそう教え説くに違いない。
 だからその部分を譲るつもりは、ラギには絶対になかった。 
 それ以上を尋ねさせないオーラがラギから出ていたのか、ルルはややあって小さく頷いた。
「――分かったわ」
 ラギの心中をどこまで本当に理解してくれたのかは分からない。
 けれどルルは少なくとも同じ言葉を繰り返すことはしなかった。
「あの、じゃあラギ」
「なんだよ」
「終わったら一緒にごはんを食べに行きたいの!」
「……は?」
 また脈絡のないことを言い出すものである。
 相変わらずの調子に些か呆れはしたが、その誘いを断る理由は見つからなかったし、別に探す必要もないと思った。
「……どんだけかかるか分かんねーけどな。それでもいいなら待ってろよ」
「うんうんっ!」
「ただし、部屋の外でな」
「ここで待ってたらダメなの?」
「ダメだ」
「うー……分かったわ」
 一喜一憂とはまさにこういうことを言うのだろう。
 ラギの発言にニコニコしたり口を尖らせたり、どうしてこうも忙しく表情を変えるのか。
 その理由はやはりラギには分からない。
 それでもひとつだけはっきりしているのは、こんなやり取りをラギ自身が心地良いと感じているのだということ。
 悲しい顔はできれば見たくないけれど、笑顔はいつでも見ていたい。
 その笑顔がラギの言葉や行動によって生まれるものならば、なおさら嬉しさは増していく。
 もしもルルが悲しそうにしていたら、それを笑顔に変えてやるのは自分でありたいと思う。
 願わくばいつもそうでありたい――実際に上手くできているかどうかは、甚だ疑問だけれど。
「分かったらさっさと出てけよほら。いつまで経っても終わんねーぞ」
 いくら胸の内であれこれ考えていても、口をついて出るのはいつもこんな風に素っ気ない言葉ばかりだ。
 もう少し優しい言い方をしてやれたらいいのにと、いつも思ってはいるのだけれど。
 それでもルルは笑うのだ。
 何かとても嬉しそうに。
「うん、じゃあ後でね。プーペさんにいっぱいお肉を用意してねってお願いしておくわ!」
「……おう、頼むぜ」
 ぱたぱたと軽やかに去っていくルルを見送ってから再び室内へ向き直る。
 やるべきことは何も変わっていないのに、ルルが来る前と比べると気持ちはずいぶん変化した。
 窓から差し込む朝日の色が少し和らいだように見えるのは、きっと気のせいではないのだろうと思う。
 光の粒はラギの胸にも明るい炎を灯しながら、きらきらと絶え間なく部屋へと降り注ぐ。
 そうして可能な限りの早さで掃除を終えたラギは、ルルの待つ食堂へと足を向けたのだった。
 

 (Saika Hio 2010.10.17)


【あとがき】
ラギは発言も行動もあんなんだけど、道理は通す人だろうと思います。
たぶんあの事件のあとはミルス・クレア中の噂の的になっているんだろうなー。
関係ないけどこのイベントの時の「マシュー見た? ラギってば本物のドラゴンみたいだ!」「落ち着いてユリウス、ラギは本物のドラゴンだよ」っていう遣り取りがものすごく好きです(笑)。
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