ナンセンス

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 さくさくと草を踏む乾いた音が響く。
 微妙に歩幅の違う、二人分の足音。
 街中へ出かけるのも好きだけれど、裏山に来るのも悪くない。
 デートコースとしては些かどころでなく色気の感じられない場所だが、不満に思ったことなどルルには一度もなかった。
 場所なんてどこでもいいのである。
 ただ二人きりでいられれば、それでいい。
 同じように感じてくれていたらいいなと思いながら、一歩前を歩く背に声をかけてみた。
「ねえねえラギ、今日はどのあたりまで行くの?」
 深い意味などまったくないつもりだったのだが、ラギはそうは受け取らなかったらしい。
 振り返った視線が気遣わしげな色を帯びてこちらを向いた。 
「ん? なんだよ、もう疲れたのか?」
「ち、違うわ!」
 慌てて首を振り、全力で否定する。
 まだまだ上り始めたばかりだ。
 さすがにこれくらいで疲れたりはしない。
「そんなんじゃないわ。大丈夫よ!」 
「そうなのか? だったらいいけどよ……ただ、まあ今日はそんなに長居するつもりはねーぜ」
「え、そうなの?」
「ああ、今日の晩メシはステーキだって話だからな! ぜってー外せねーだろ? メシの時間までには戻らねーとな!」
「……」
 途端、ルルの足がぴたりと止まった。
 さながら、巻かれていたネジが切れたかのように。
 ラギはしばらくそのまま先へ進み続けていたが、やがて気配の変化に気づいたのだろう、おもむろに立ち止まって振り向いた。
「ルル? どうした?」
 ざくざくと音を立てながら、一旦進んだ道を戻ってきてくれる。
 その迷いの無さは嬉しかったが、あいにく今は素直に喜んでいられる気分ではなかった。
「……あのね、ラギ」
 僅かに俯いた仕草で、小さく声を絞り出す。
「前からなんとなく感じてたんだけど」
 言いながら顔を上げると、驚きと戸惑いを隠せない眼差しとまともに視線がぶつかった。
 ルルや他の人たちとは違う独特な形の瞳が、真摯な色で見下ろしてくる。
 普段ならば見惚れてしまっていたかもしれない。
 けれどルルは険しく表情を引き締め、ラギの瞳を毅然と見上げた。
「ラギってやっぱり、女の子の気持ちが分かってないと思うの!」
「な、なんだよいきなり?」
 ラギの頭に浮かぶ疑問符が目に見えるようだ。
 それはそうだろう。
 前後の脈絡を考えたら唐突極まりない発言である。
 けれどルルの中では前後の繋がりもそこへ至るまでの理由もはっきりしているので、強気の姿勢は全く揺らがなかった。
「いきなりじゃないわ! だってラギったらいつもそうよ、二言目にはお肉お肉って――」
「わ、悪いかよ? つーかなんだよ、何の話だ!」
 語気が荒ぶっていくのと同時に身体が知らずラギの方へ近づく。
 そんなルルの動きに合わせたように、身を後ろへ退かせるラギ。
 それが【不慮の事故】を招かないための行動なのはルルにも分かる。
 だが頭で分かっていても、感情は別物だった。
 特に今、乙女心がこんなに分かっていない様を目の当たりにしている状況では、神経を逆撫でする要因にしかならない。
 構わずもう一歩近づいて、ルルは毅然と目の前の相手を睨み上げた。
「もうこの際だからはっきり聞いちゃうんだから! ラギはわたしとお肉とどっちが大事なのっ?」
「はあぁぁぁっ!?」
「たとえば崖からわたしとお肉が落ちそうになってたら、ラギはどっちを助けるの?」
「なんだそれは! つーか肉を助けるとか言わねーだろ普通! その時点で言ってることおかしいって気づけよ!」
「おかしくなんかないもの! だって――」
 勢い込んだ拍子に踏み出した足が、草の表面で滑った。
 体勢を立て直そうとする余裕すらなく、そのまま身体が傾ぐ。
「おいっ――!」
 弾かれたような声が飛ぶ。
 倒れそうになったのは、ラギとは反対の方へ向かってだったはずだ。
 にもかかわらず、逞しい腕は寸分の迷いもなくルルへと伸ばされていた。
 そのままだったら山道の途中で転倒していたであろう身体を、がっしりと支えて立て直させてくれた腕。
 その力だけ見るなら、安心して身体を預けてしまうことに何の不足もありはしない。
 むしろそうできるならどんなにいいだろう。
 けれど実際にそれは許されないことだ。
 それは分かっているからルルなりに精一杯、自力で体勢を立て直そうと頑張ってみたつもりだった。
 だが、抱き止めてくれた力の方がルルのそれより圧倒的に強いのは当然であり、そこに抗う術などない。
 だから引き寄せられた胸元に両手でしっかりと抱きついてしまったのは、いわば不可抗力と呼ぶべきものだったのだろうとは思う。
 思うが、そんな理屈を並べ立てたところで所詮言い訳にすぎないのである。
 目の前にある事実は、ただひとつ。
「うう、くっそ……ハラへった……」
「ら、ラギ! ごめんなさいっ!」
 空中で力なく呻く小さなドラゴンに、飛び上がらんばかりの勢いで謝る。
 自己嫌悪と申し訳なさで押し潰されそうだ。
 普段あれほど気をつけているつもりなのに、どうしていつもこうなってしまうのだろう。
(で、でも……今のって)
 一連の流れを頭の中で反芻してみる。

 今のは――ルルを助けようとしなければ起こらなかった事態だ。

 それに気づいた途端、どくん、と鼓動が跳ねた。
(……っ!)
 小さな火竜の姿になったラギは空腹を嘆くぼやきこそ繰り返しているが、ルルを責める言葉がその口から紡がれる気配はない。 
 普段こういう状態になるといつも「ふざけんな」だの「燃やすぞてめー」だの、独特の言い回しで怒りを露わにするのに。
 いや、そもそもそれ以前にこの姿になるのを嫌がるラギは、極力ルルに触れようとしないのに。

 ――どうして。

(どうして……?)
 胸が痛い。
 ずきずきと、疼くような痛みを訴えてくる。
 震える唇から、ルルはやっとの思いで言葉を紡ぎ出した。
「ねぇ……ラギ」
「……なんだよ」
「どうして……どうして助けてくれたの?」
 もっと他に聞き方はあったのかもしれない。
 けれど今のルルにはそれ以外の言い回しなど到底浮かびはしなかった。
「変身しちゃうって分かってたのに、どうして――」
「あのな――訊くなよ、んなこと」
 ルルの言葉を遮るように、響いた声。
 それはため息混じりのひどく静かな音だった。
「――わかんねーのかよ」
 小さなドラゴンの紅い瞳が真っ直ぐにこちらを見る。
 怒鳴られたわけでもないのに、思わず身が竦む。
 いつもと違う姿から表情は読み取れないけれど、その視線の意味は何となく分かるような気がした。
「はっきり言わなきゃ、わかんねーのか?」
 それだけ言うと、ラギは視線を逸らしてしまった。

 ――言うまでもないくらい、当たり前のこと。

 言い換えればつまりそういうことなのだろう。
 変身してしまうことが分かっていても、転びそうになったルルを抱き止めてくれたのは。

 自惚れでなければ、きっと――理由なんてひとつしかない。

「………っ」
 言葉の代わりに、首を横に振る。
 何度も何度も――それしか意思を伝える術を知らない、子どものように。
「ご、ごめんね、ラギ……っ」
 今頃になって、自分のぶつけた暴言が刃となって胸を刺す。
 勢い任せだったとはいえ、どうしてあんなひどいことを言えたのだろう。
 比べるようなものではないことくらい、少し冷静に考えれば分かるはずなのに。
「ごめ……なさい……っ!」 
 当たり前の判断力すら無くしてしまうくらい、こんなにもラギのことが好きでたまらないから。
 けれどそんな利己的な理由を告げたところで、言い訳にも何にもなりはしない。
 どうすれば償うことができるのだろう。
 きっとルルが思っているよりもずっと、ラギの心はいつもこちらを向いてくれているのに。
「あー、もー……分かったから、泣くな」
 呆れの色を隠そうともしない声が耳を打つ。
 慰めようとしてくれているのか、それとも本当に呆れられてしまったのか。
 限りなく後者の可能性が高い気がして、ラギの方をまともに見られない。 
「だって……」
「おまえが泣いてたってオレの腹は膨れねーんだよ。んな暇があるならさっさとオレを食いもんのある場所まで連れていけ」
「……え」
 予想外の発言に、ルルの動きが止まった。
 変身したラギが激しい空腹状態に陥るのは知っている。
 だが動けなくなるほどひどい状況になったことは、そこまで多くはないはずだ。
 それに何より誇り高いドラゴンであるラギは、小さなドラゴンの姿で人に触れられることを好まない。
 そのラギが自らこんなことを言うなんて、それはつまり――。
(そばにいても、いいって、こと……?)
 微かに乱れた鼓動が甘い響きで胸を打つ。
「お、怒ってないの……?」
「別に怒ってねーよ」
「……ごめんね」
「だからもういいっつってんだろ。それよりさっさとメシ食わせろ」
「うん……分かったわ」
 ルルの口から思わず笑みがこぼれた。
 食べ物のことを重視されているのは先刻までと同じはずなのに、受ける印象が不思議なほど変化しているのに気づく。
 この事態を招いた責任を感じるからだとか、それだけの理由ではなくて。
 ルル自身の気持ちがそうさせているのだろう。
「――あのね、ラギ」
「なんだ?」
「わたし、すごくナンセンスなこと言ってたんだって分かったわ」
「……別におまえの言動がぶっ飛んでんのは今に始まったことじゃねーだろ」
「もうっ!」
 意地悪な切り返しに口を尖らせながらも、すっかりいつもの調子が戻っていることを内心で嬉しく思う。
 あのね、と仕切り直してから、ルルはおもむろに自分の思いを口に載せた。
「ラギがお肉を大好きなのはもちろん分かってるわ。それを理由にデートを早く切り上げようなんて言われちゃったからちょっとショックだったんだけど――」
「……」
「でも、お肉はわたしも一緒に食べればいいんだもの! 二人きりで過ごす時間がいつもより短くても、それならなにも問題なんてないんだわ」
 ね、と笑顔を向けたルルを、ラギは何か言いたそうにじっと見ている。
 ドラゴンの姿から感情を読み取ろうとするのはなかなか難しく、ラギが何を思っているのかは残念ながらよく分からない。  
 首を傾げるルルの目の前でラギは盛大に溜息をつき、そして重々しく言った。
「……んな当たり前のことをさも世紀の大発見みてーに言えるおまえって、やっぱ只者じゃねーよな」 
「え? 何が?」
 どういう意味合いの言葉なのか、今ひとつ判断しきれない。
 寮の食堂に到着するまでの道すがら繰り返し尋ねてみたが、結局ラギはそれ以上のことを応えてはくれなかったのだった。
 

 (Saika Hio 2010.10.09)



【あとがき】
「私と●●とどっちが大事なの?」って男性がいちばん言われたくない台詞らしいので(そりゃそうだろう)、いっそ意味が分からないくらい不条理なこと言わせてみたらどうよ、と思った結果の産物(笑)。
モチーフによってはちゃんとシリアスなテイストにいくらでもなりうるはずなのに、どうやっても目を逸らしきれないバカバカしさが全体に漂ってしまって結局なんだかよく分からないものになってしまいました…すいません。
しかしうちで取り扱ってる他のどのカプでも絶対できない展開なので、そういう意味ではたいへん楽しかったです。

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