ほんの少しの気の迷い

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 魔法なんかに興味は無い。
 あってもなくても困りはしないし、そもそも自分には使えない力だ。
 ずっとそう言い続けてきたのは紛れもない本音で、今も根本的な部分ではその気持ちに変化はない。
 魔法が自分に何かをもたらしてくれるなどと考えたことは、ただの一度も無かった。

 ――その、はずだったのに。

「おや、ラギ。読書デスか、珍しいデスね」
 突如として背後から飛んできた声に、ラギは椅子から跳び上がりそうになった。
 派手な音を立てて、手元の本を叩きつけるように閉じる。
 決して大きな声ではなく、それどころか穏やかという形容しか当てはまらないような声音だったのだが、ラギの鼓動は自分でも忌々しくなるほどの早鐘を打っていた。
「な、なんだよビラール。娯楽室に行ったんじゃなかったのか」
 今しがたまで向かっていた机を背で隠すように体勢を替え、そっけなく問う。
 たぶん何をどう取り繕おうとしても無駄なのだろうということは、頭の片隅で分かってはいたが。
 ルームメイトであるファランバルドの第二王子はそんなラギの心中に気づいているのかいないのか、いつもどおり腹の底の読めない笑みをこちらへ向けてくる。
「そう思ったのデスが、どうやら今日ハ、千客万歳。どのテーブルもいっぱいデシた」
「……そーかよ」
 それを言うなら千客万来だ、と正しい突っ込みを入れる気にもならない。
 こんなことなら自分が自習室にでも行くべきだったと心の底から後悔したが、既に後の祭りである。
 ベターカードができなかったことを特に残念がるでもなく、ビラールは笑顔で言葉を続けた。
「それデ、何を読んデいるのデスか?」
「う、うるせーな、別に何でもいーだろ!」
 純粋な好奇の視線がラギの背後の机に注がれる。
 どんなに自分の身体で隠そうと試みても、完全に叶うものではない。
 背表紙に書かれたタイトルをビラールが読み取るまでにかかった時間は、ほんの数秒だった。
「魔法史、デスか。ラギが魔法の歴史ニ興味を持つトハ、驚きデス」
「べ、別にいーだろ! 文句でもあんのかよ!」
 カッと頬に上った熱を嫌というほど自覚しながら噛み付いてみても、ビラールは意に介した風もない。
 いつものことだが、この手応えの無さには本当に苛々させられる。
 自分の心情に余裕が無いときは殊更だ。
「イエ、文句なんてありまセン。むしろ嬉しい。ラギも魔法が好きニなってくれたんデスね」
「なっ――ちげーよ!」
「違ウのデスか?」
 きょとんと目を瞬くビラール。
 その一瞬は本当に分かっていなかったようだが、すぐに彼は訳知り顔で頷いた。
「ああ、ナルホド。ラギが好きになったのは魔法ではナク、あの子――」
「! っだー! うるせーよ! 燃やすぞてめー!」
 怒り心頭に達した時の常套句を叫んでみても、ビラールの顔から笑みは消えない。
 いや、消えるどころかますます面白そうな色が濃くなったような気がする。
 これは駄目だ、とラギの中でなけなしの理性が訴えかけてきた。
 まともに相手をしていても勝ち目など無く、ただこちらのボルテージが上昇していくだけだと。
 ――悔しいが、いつものことだ。 
「ったく、わけわかんねーことばっかり言ってんじゃねーよ!」
 言い捨てて、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
 室内で小火騒ぎを起こす前に退散するに限る。
 机の上の本を荒っぽく掴んだラギは、燃える双眸でビラールを睨みつけた。
「てめーが戻ってきたんならオレが出てく」
「ハイ、あまり遅くなってハ駄目デスよ?」
「うるせー! てめーはオレの母親か!」
 叫びと共に扉を叩きつける。
 くすくすという笑い声が扉越しに聞こえたような気がしたが、気付かないフリをしておくことにした。
(ったく――冗談じゃねーっつーの)
 いつ誰が魔法を好きになったというのか。
 魔法なんて自分には必要の無いものだ。
 今も昔も――そしておそらくはこれからも、その気持ちは変わらないだろう。
 魔法を使うことが出来ない限り、自分がその力に何らかの価値を見出すことなどありえないはずだ。
(しかも言うに事欠いて何言いやがったあいつ? オレが、誰を――なんだって?) 
 途端、ラギの足がぴたりと止まった。
 魔法は好きではない。
 それは胸を張って主張できる。

 だが――。

『ラギが好きになったのは魔法ではナク、あの子――』

 先刻のビラールの台詞を反芻した途端、身体中に熱が走った。
「だー! うるせーっての!」
 脳内の声を打ち消すように叫んでみたが、ますます体温が上がったような気がするだけだった。

 何故なら、それは――本心から否定することなどできそうにないから。

 初対面で人を火トカゲ呼ばわりした失礼極まりない少女。
 けれど山のようなマカロンを惜しげもなく譲ってくれた少女。
 自分自身が危なっかしいくせに、やたらと他人の世話を焼きたがるお節介な少女。
 扱う魔法はいつも失敗ばかりで、その度に落ち込むけれど馬鹿みたいに立ち直りが早くて。
 周囲のすべてを照らすような笑顔で、口癖のように言うのだ。

『わたしは魔法が大好き。だって、みんなを幸せにしてくれる力だもの』

 その能天気な持論に諸手を挙げて賛同する気はない。
 魔法に対して彼女が抱く思いとラギが抱くそれとでは、おそらく天と地ほどの差があるのだろうから。

 けれど、少しだけ――ほんの少しだけ、思ったのだ。

 彼女がそんなに好きだと思う世界を、もう少しきちんと知ってやってもいいかもしれない、と。

(ほんっと、ガラじゃねーよな。このオレが自分から図書館に行くなんて、ラティウムに集中豪雨が降ってもおかしくねーぜ)
 自分でも何をやっているのだろうと失笑を禁じ得ない。
 図書館に赴いたことも、魔法に関することを自ら学ぼうと思ったことも。
 とはいえ、何から手をつけたらいいのか分からなかったのも事実で。
 たまたま先日会った時に彼女が持っていた本のタイトルで検索し、それをそのまま借りてきたのだが。
 結局、いくらも読まないうちに邪魔が入ってしまった。
「ちっ……しょーがねーな」
 気分が削がれたのは事実だが、読まないという選択肢は不思議と湧いてこなかった。 
「こりゃホントに自習室にでも行けってことか……ますますガラじゃねー」
 ガリガリと頭を掻きながら迷ったのは、ほんの数秒。
 ラギは片手で本を持ったまま自習室へと赴いた。
 幸いにも途中で誰かと出会うことは無く、ほっと胸を撫で下ろす。
 ラギが本を抱えて自習室へ行くなど、見知った顔に何を言われるか分かったものではない。
 だが自習室の中にこそ人がいる可能性を、まるっきり失念していた。
 そして――扉を開けた途端、ラギはそのまま固まってしまった。
「あれっ……ラギ?」
「――っ!」
 羽根ペンを片手に持ったまま、机から目を上げた少女が驚いたように瞬きをした。
「わあ、ラギも勉強? 偶然だね!」
 にこにこと、邪気の欠片もない笑顔が真っ直ぐにこちらへ降り注ぐ。
 ふわふわとしたウェーブの髪と茶色のリボンを揺らしながら、ルルは立ち上がった。
 そのままパタパタと駆け寄ってくる彼女を、ラギはただ呆然と見つめることしかできない。
 あまり近寄られて【不慮の事故】が発生しても困るのだが、そのあたりはルルも心得ているのか、間に数歩分の距離を置いたところで立ち止まった。
「本を読みに来たの?」
「い、いや――つーかおまえこそ珍しーじゃねーか。こんな時間まで勉強してるなんてよ」
 素直に返答することなど到底できそうになく、不自然に話題をすり替える。
 ルルは特に気を悪くする風でもなく、うん、と頷いた。
 その素直さが今はとても貴重なものに思えた。
「ヴァニア先生の課題が明日までなの。ちゃんと提出しないと後が怖いから」
 妙に実感の籠った口調である。
 もしかしなくても、怖い思いをしたことが実際にあるのだろう。
 だが深く追求するのもいろいろな意味で――それこそ怖い。
「そーかよ。ま、頑張れよ」
「うんっ、ありがとう!」
 短い激励に、心の底から嬉しそうな笑みが返ってくる。
 思わず苦笑を零しかけたとき、琥珀色の瞳がラギの手元へ向いた。
「あれ、その本……」
「っ! い、いや、これは――」
 ビラールに見られたときとは比べ物にならない勢いで鼓動が跳ねる。
 だが言い訳を捻り出そうとする間もなく、ルルは真昼の太陽のように破顔した。
「すごい偶然! それ、この前までわたしも読んでたの!」 
「……は?」
 きっと自分はこの一瞬、豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていたのだろうと思う。 
 ルルはそんなラギに構わず、無邪気な言葉を無邪気な笑顔で続ける。
「魔法史について学ぶならこの本を読みなさいって、このまえ先生に教えてもらったの。ラギも?」
「……。……ま、いーや。そーいうことにしといてくれ」
「? 違うの?」
「――さーな」
「???」
 がっくりと脱力しながら、ラギは本を持っていない方の手で軽く額を押さえた。
 言えるわけがないではないか。

 ――おまえが読んでたからだ、なんて。

 ルルが鈍くて良かったと、今ほど心底から思ったことはない。
 長い長い溜息を吐き出し、ラギは言った。
「オレのことはいーから自分のことやれよ。明日までなんだろ、課題」
「あ、う、うん」
 ぎこちなく頷くルル。
 改めて現実を突きつけられて少し途方に暮れた様子が伺える。
「じゃーな。……悪かったな、邪魔して」
 ルルが勉強している端でわざわざ本を読むことも無いと判断し、軽く片手を挙げてみせる。
 なんだかいろいろなことが裏目に出ているように思うのは気のせいではないだろう。
 やはりガラにもないことはするものではないということだろうか。
 胸中で軽く自嘲しながら立ち去ろうとした時。
「ま、待って! 邪魔なんかじゃないわ!」
 ラギの服の裾をはっしと掴みながら、ルルが言った。
「は?」
「あの、あのね、良かったらここでその本、読んでいって欲しいの!」
「……はぁ?」
 その突拍子も無い提案に何の意味があるのか、ラギにはさっぱり分からなかった。
 ラギがここで本を読もうが読むまいが、ルルの課題にはなんの関係も無いはずだ。
 だが、それを振り切って部屋へ戻ることは――なんとなくできなかった。
「……オレ、途中で寝ちまうかもしんねーぞ」
 それは半分以上本気の発言だった。
 正直、読書の集中力なんて五分が限度だと自覚している。  
 ならばなぜ自主的に本を読もうなどと思ったのか――自分自身でさえ抱く疑問に、しかしルルは思い至りもしないらしい。
 彼女はただ嬉しそうに笑いながら頷いた。
「うんうんっ、もしラギが寝ちゃったら起こしてあげるから安心して!」
「バカ、それじゃおまえの課題が進まねーだろが」
「そ、そうかな? でもきっと大丈夫!」
「なんでそう言い切れるんだよ」
「だってね、なんだかラギに会えて元気が出たような気がするから!」
「……は?」
「それと、ラギが隣にいてくれたら頑張れるような気もする!」
「………」
 二の句が告げないとは正にこのことだ。
「……なんだそりゃ、わけわかんねー」 
 やっとの思いでそれだけ呟く。
 殺し文句の自覚が有るのか無いのか。
 いや、間違いなく無いに決まっている。
(ったく……人の気も知らねーで)
 返事の代わりにルルの頭をポンと撫で、彼女の座っていた席の隣へ腰を下ろす。
 やたらと嬉しそうに笑うルルも、それが合図になったかのように元の席へと座った。
(はぁ……何やってんだか自分でもわけわかんねー)
 内心で盛大に溜息をついてみたが、不思議なほど心は軽かった。

 魔法なんて必要ない。
 あってもなくても構わない。
 誰かに問われたら、やはりそう答えるだろう。
 こんな本を読もうと思ったのは、ほんの少しの気の迷いだ。
 そして、今こうして彼女の隣で本を開いているのも――きっと。

 ――けれど。

(……ま、たまにはこーいうのもいーんじゃねーの)
 自分でも驚くほど穏やかな心地で、ラギはそう思った。 


 <Saika Hio 2010.07.04>


 【あとがき】
 ひとつのゲーム(ていうかカップリング)にハマると、その勢いで創作を書きたくなる悪い癖があります。
 今回もまんまとその悪癖が発動いたしました(…)。
 というわけでラギですよ! 
 ラギルルですよ!
 ラギって魔法を使えるわけじゃないし学ぶ為にミルス・クレアに居るわけじゃないし試験も受けてないらしいし、じゃあ平日の夜とか何やってヒマ潰してんのかなーと思ったことから広がった妄想です(休日なら適当に出かけていけるだろうけど、平日の夜は寮に居るしかないみたいなので)。
 木彫りが趣味らしいのでそういうことやってるのかもしれないですけどね。
 あとファンディスク見た感じ、もしかしたら連日連夜ベターカードに明け暮れてるのかもしれないけど。
 如何にもやらなさそうなこと、でもこんな理由だったらちょっと萌えるかも! という単なる自己満足の具現化です。
 …決して嘘つきカードでもルルの夢でもありませんよー(笑)。
 「燃やすぞてめー!」とかビラールの間違った四字熟語とか、これでもかと詰め込んでみました。

 …それにしテモ、ビラールの言葉遣いハとても難しかったデス。


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