●● 理由(わけ)もなく、ただ ●●
第一印象というのは、どうしても後々まで残るものだ。
最悪な出会い方をした相手に好印象を抱くのは難しいものだし、逆もまた然りであろう。
だから勝真は未だに信じていない。
どう見ても「これ」が「龍神の神子」だなどとは思えない。
もともと神子という存在を信じていないせいもあるが、決してそれだけではなくて。
出会ったときの印象があまりにも強すぎた。
奇妙ないでたちで突然馬の前に現れて、自分のいる場所さえも理解していなかった、童のように華奢な娘。
勝真にとっての彼女の存在は、要するに京の町で拾った迷子と変わらないのだ。
* * *
「あの……どうかしたんですか、勝真さん?」
遠慮がちに呼びかけられ、我に返る。
目の前の相手の顔を見ながらつい物思いに耽ってしまっていたことに、そこで初めて気づいた。
結果、不自然にじっと見つめられる形になった目の前の相手――花梨は、何事か問わずにはいられなかったのだろう。
「あ、いや……なんでもない」
慌ててかぶりを振り、視線を外す。
不思議そうに首を傾げていた花梨だったが、しかしそれ以上問いを重ねてくることはしなかった。
詳しく説明せずに済んだことを内心で密かに安堵する。
神子らしさなど微塵もないと、改めてしみじみ思っていた――などと、わざわざ本人に言うわけにもいかない。
「それより、今日はここでどうするんだ」
話題を逸らすように逆に問うてみると、花梨は口元に笑みを浮かべた。
「この前ここの怨霊を倒したから、今日はじっくり見てみようと思って。えーと……土地の五行の力を上げる、って言うんでしたっけ」
「ああ、なるほどな」
目的を理解した勝真は頷いた。
内心で幾ばくかの戸惑いを抱えながら。
(こういうところは神子だと言えなくもないんだがな……)
花梨は確かに五行の力をその身に宿し、怨霊と対峙することができる。
とはいえ一人で戦わせるわけにはもちろんいかないので、勝真や他の八葉が常に守ってやる必要があるのだが。
そして最初に花梨を拾ったという立場上、やはりどこか放っておけないものを感じている勝真は、他の八葉より彼女と行動を共にする機会が多かった。
先日もこの場所へは一緒に来た。
そのときのことを思い出して、勝真はふと呟いた。
「そういえばこの前ここに、うさぎがいたな」
何の気なしに言った言葉だったが、花梨がそこで急に表情を輝かせた。
「はい、実は今日もいるかなって思って、ちょっと餌を用意してきたんですよ」
言いながら嬉しそうに荷物を探る花梨。
程なくして小さな包みが取り出され、その中から人参やら葉野菜やらが生のまま顔を出した。
「……用意周到だな」
「だって、この前すごく可愛かったし、またお腹を空かせてたら何も持ってないと可哀相だし……」
通りすがりの野生のうさぎに何故そこまで真剣になるのかは今ひとつ理解し難いが、口に出すのはやめておいた。
花梨が楽しそうにしているのを見るのは悪くないと、心のどこかで思ったせいだ。
どうしてそんな風に思うのかは、自分でもよく分からなかったが。
「噂をすれば……か」
少し離れた場所の灌木の根元で草が動いた。花梨は気づかなかったようで、不思議そうに首を傾げている。
「え?」
「お出ましだぜ、ほら」
そちらを顎で軽く示すと、釣られるように視線を動かした花梨が歓声を上げた。
「わぁ、ほんとだ!」
草の向こうから数羽のうさぎがこちらを伺っている。
耳や鼻を微かに動かしながらも逃げようとしないのは、やはり何かを期待してのことなのだろうか。
「おいでおいで、ごはんだよー」
ちょうど広げたままになっていた野菜の包みをうさぎの方へ向けて振りながら、まるで犬でも呼ぶように花梨が手招きする。
文字通り餌に釣られたらしく、様子を伺いながら少しずつうさぎたちが近づいてきた。
野生の割に人間を恐れる様子があまり見られないのは、こんなふうに餌を貰う機会が意外に多いせいなのかもしれない。
「ほら慌てないで、まだあるから大丈夫だよ」
一羽が餌に口をつけたのを皮切りに、他のうさぎたちも途端に花梨のもとへ群がり始めた。
「あ、そっちのおまえもおいでよ。おなか空いてない?」
警戒心が強いのか、まだ離れたところにいる一羽にも声をかけることを忘れない花梨。
その後ろで黙って見ていることしかできない勝真は、先刻も抱いた感覚を再び味わうこととなった。
(やっぱりこれが龍神の神子だっていうのはどうなんだ?)
呆れるほど楽しそうな声でうさぎに話しかける様は、本当にそこらの童と同じだ。
勝真が知る年頃の一般的な娘は、こんなに無邪気に動物と接したりはしない。
知っているのが貴族の姫ばかりだからというのもひとつの理由かもしれないが、どう見てもそれだけの違いではないような気がする。
だがそれは決して悪い心地ではなかった。
それどころか、むしろこんな庶民的な存在でいてくれることに安堵のような感謝のような念が湧いてくる。
(調子は狂うが……こんな奴だからこそ、傍にいてもいいと思うのかもしれないな)
危なっかしくて目が離せない、という言葉とそれは同義語だが、どちらも胸の中に秘めておくことにした。
* * *
花梨が持っていた野菜は、さほど時間をかけないうちに綺麗になくなった。
空腹が満たされたうさぎたちは順に去っていき、後にはまた勝真と花梨だけが残った。
花梨はうさぎに会う前よりも更に輝いた表情で、うさぎたちの後をいつまでも見送っていた。
「そろそろ帰るか。じきに日が暮れるぜ」
「あ、はい、そうですね」
頷いた花梨は慌てたように着物の裾を払い始めた。
しゃがみこんでいたせいで汚れてしまったのだろうか。
着物が汚れるほど夢中になってうさぎに餌をやるというのも、勝真にとっては驚くべきことなのだが。
(こんなふうに考えていてもきりがないな。花梨は花梨なんだし、こいつのやることにいちいち驚いてたら身がもたない)
もういっそのこと、そうやって割り切るのがいちばんなのかもしれないと今更のように思う。
勝真の常識では測れない、異世界の娘。
この先どんなことで勝真を驚かせてくれるのだろう。
そう思うと、ますます目が離せない。
いや――目を離したくないとさえ思ってしまう。
不意に去来した、微妙に意味合いの違う心境。
何故かひとつだけ大きく跳ねた鼓動が、まるで他人事のように胸を叩く。
思わず視線を横へ逸らしたときだった。
「あれ、あそこにいるの……」
勝真が目を逸らしたのと反対のほうを見ながら花梨が声を上げた。
どうした、と問い返す間もなくそちらへ走っていく。
「やっぱりうさぎさんだ。どうしたの? みんなもう行っちゃったのに――」
一羽だけ取り残されたように佇んでいたうさぎへ、人に対してするかのような口調で声をかける花梨。
と、その目がある一点に釘付けになった。
「もしかして……怪我をしてるの?」
言いながらゆっくりと近づいていっても、うさぎは動く様子を見せない。
よく見ると先刻餌をもらっていた連中とは違うようで、空腹が満たされているようには見えなかった。
勝真も静かに近づいていって見てみると、なるほどそのうさぎは片方の後ろ足を負傷しているようだった。
動けないこともないのだろうが、空腹と痛みと両方の苦痛で動く気力もなくしたといったところだろうか。
花梨が手を伸ばしても、うさぎは動かない。
恐る恐る近づいていく腕に、やがてうさぎの身体はしっかりと抱きとめられた。
そこまで見て、花梨の意図がなんとなく分かった気がした。
「そいつをどうするつもりだ」
念のために尋ねてみたが、まったく無意味な行為であったと即座に後悔した。
「怪我してるんですよ。お屋敷に連れていって手当てしてもらわなきゃ」
あまりにも予想通りすぎる答えに、思わず溜息が零れる。
「……野生の動物を、あまりおいそれと連れて帰ったりするもんじゃないと思うがな」
「でも――」
「だが、やめておけと言っても聞かないんだろ、おまえは」
「だって、こんなに痛そうなのに……」
まるで自分自身の傷が痛むかのような悲痛な面持ちで、必死に反駁する花梨。
荒々しく後ろ頭を掻きながら、それを遮るように勝真は言った。
「分かったよ。とりあえず暗くならないうちに帰ろうぜ。紫姫はともかくとして深苑の奴は何か言いそうだが……ま、俺からもひとこと言ってやるよ」
途端、先刻までのように――否、どうかするとそれ以上に――花梨の表情に明かりが灯った。
「え……いいんですか?」
「ああ、行くぞ」
「はい!」
元気に頷く姿を確認してから踵を返し、勝真は歩き出した。
良かったねもう少し我慢してね、とうさぎに話しかけながら花梨が後をついてくる。
(まったく……)
肩越しに気づかれないよう見遣りながら、勝真の内心は複雑極まりなかった。
なんとなく、この娘に強く出られないのは何故なのだろう。
暗くならないうちに帰らなければ、と思ったのももちろんだが、それ以上に。
――悲しい顔を、させたままでいたくなかったのだ。
* * *
屋敷に連れて行かれたうさぎは多少暴れたが、花梨に害意がないことを感じ取ったのか、手当てが終わる頃にはおとなしくなっていた。
まるで幼子をあやすように根気よく手当てに取り組んでいた花梨は、にっこり笑ってうさぎの背をそっと撫でた。
「はい、これで大丈夫だよ」
一部始終を傍で見ていた勝真は思わず呟かずにはいられなかった。
「……物好きな奴だな」
屋敷に戻ってきてからのことを思い出すにつけ、つくづくそう思う。
うさぎを見て事情を聞いた紫姫は甲斐甲斐しく手当ての道具などを用意してくれたが、深苑のほうは案の定渋い顔をしてあれこれと文句を並べ立てていた。
約束どおり一応勝真が黙らせたが、花梨本人は怒る様子もなくただひとこと「ごめんね深苑くん」と頭を下げただけだった。
それでなくても風当たりの強い深苑にわざわざ嫌味の種を与えてやることもあるまいに、と思わずにはいられない。
「別におまえが拾ってやる義理もなかっただろ。なんでそこまで必死になるんだ?」
言われた花梨はきょとんと目を瞬いた。
「なんで、って……だって放っとけないじゃないですか」
口を尖らせて、心外だと言わんばかりに花梨は続ける。
「怪我をして、ひとりぼっちでいたんですよ。それってきっと心細くてたまらないですよ」
「……まあ、そうかもしれないけどな」
「あのままだったらずっと痛くて寂しい思いをしてなくちゃいけなかったかもしれないし」
「……」
「あそこで見つけたのもきっと何かの縁ですし、わたしでできることなら、してあげたいって思ったんです」
花梨自身はおそらくさほど深い意味もなく、思ったとおりのことを言っただけなのだろう。
だがその一連の主張は、勝真の心に小さなさざなみを立てた。
ひとりぼっちで、きっと心細くてたまらなかった。
あそこで見つけたのも何かの縁。
それは、まるで――。
(こいつ……もしかして自分のことと重ね合わせて見ていたのか?)
異世界から突如召喚され、見知らぬ土地に放り出された花梨。
このうさぎのように怪我こそしてはいなかったが、その心細さはどれほどのものだったろう。
たまたま通りかかった勝真が話を聞いてやり、そこからいろいろなことが判明したからよかったが、
――もしも、そうでなかったら。
(今頃こいつは、どうなっていたんだろうか)
今の京はお世辞にも治安が良いとは言い難い。
こんな華奢な娘が一人でふらふらしていたら一晩でどうなるか、考えるまでもないことだ。
花梨がそこまで認識しているかどうかは定かではないが、誰にも見つけてもらえなかったらそうなっていた可能性も有り得たはずだ。
(そうか……なるほどな)
もしも今回の相手がうさぎでなく人間の子供だったりしたら、勝真もそれなりの対応をしていただろう。
それを花梨はうさぎに対してもした、というだけのことで。
ふと、そこで思った。
――京を救う、龍神の神子。
(そうだな、こいつなら……)
貴族だとか庶民だとか、そんなちっぽけな確執に捕らわれることなく、すべてを包み込んでしまえるのかもしれない。
* * *
「もう歩けるかな? ……うん、大丈夫みたいだね」
数日後。
傷の癒えたうさぎを元いた場所に返してやると、うさぎは元気に跳ねながら茂みの向こうへ消えていった。
「わぁ、早いですね! もう見えなくなっちゃった」
「結構あっさりしてるな。もう少し感謝してもいいんじゃないか?」
「そんなことないですよ。元気になったならそれがいちばんじゃないですか」
わざと少し意地悪なことを言ってみると、想像したとおりの答えが返ってきた。
花梨という娘の気質をまたここでも再認識して、内心で苦笑が零れる。
「……あいつはおまえに拾ってもらえてよかったな」
ついそんなことを呟くと、花梨が驚いたようにこちらを見上げてきた。
「なんだ?」
「いえ、あの、勝真さんにそう言ってもらえると思わなくて……ちょっとびっくりしました」
さりげなく失礼なことを言われたような気がする。
「なんだよそれは。どうしてそう思うんだ?」
「だって、最初は拾うこと反対されたし……」
僅かに眉をひそめた勝真にも臆することなく、きちんと理由を述べる花梨。
ああ、と勝真の口から曖昧な声が零れた。
「あのときは、まあ……な」
「どうして反対だったんですか?」
まっすぐに勝真を見上げたまま、まっすぐに花梨が問う。
言おうかどうしようか迷ったが、他に適当な理由も思いつかなかった。
さりげなく視線を外し、あえて軽い口調を装ってみる。
「おまえのことだから、きっと何でもかんでも手を差し伸べちまうんっだろ。うさぎ一匹にあそこまで親身になるくらいだからな。だが……それじゃいつか許容量を超えちまうだろうが」
この小さな手に、細い身体に、いったいどれほどのものを受け止めなければならないのだろう。
花梨本人がそれを払いのけたりしない以上、放っておけばどうなるのかは明白な気がする。
「京のことだけですでにいろいろ抱えてるのに、野生のうさぎの怪我までいちいち気に留めてたらきりがないぜ」
「それは……そうかもしれませんけど……」
言い方がきつかっただろうか。どこか打ちひしがれたように響く呟きが、勝真の胸を静かに打った。
だからというわけではないが、ゆっくり伸ばした手で安心させるように頭を軽く撫でてやる。
驚いたように大きな瞳が瞬かれた。
「それでもおまえにとっては……理屈じゃないんだろうな」
損得や打算や――様々なしがらみとはきっと関係なく。
ただそうしたいから、するのだろう。
「まあ、おまえの手に負えないようなことがあったら俺が助けてやるよ」
「あ、ありがとうございます」
素直に頭を下げる仕草が可愛くて、思わず口元に自然な笑みが浮かぶ。
「おう。また迷子になってたらちゃんと拾ってやるしな」
「え、あの、わたし別に迷子になってたわけじゃ――わぁ、なにするんですかー!」
ささやかな反論は、頭に置かれた手が髪を掻き混ぜた瞬間に途切れた。
止めようとする両手が伸びてきたが、掴まる前に勝真は素早く腕を退いていた。
「もー、くしゃくしゃになっちゃうじゃないですかー」
慌てて手で髪を撫で付けながら口を尖らせる花梨。勝真がつい笑み零れると、釣られたようにその唇にも緩やかな笑みが刻まれていき、くすくすと明るい声に変わる。
こんな様子は、京を救うような偉大な存在にはやはりどうしても見えないけれど。
花梨の両手に余るものは、この手で受け止めてやればいい。
そこに見返りや打算などは何も必要なく。
――ただ勝真がそうしたいから、するのだ。
秋の涼やかな風を静かに頬に受けながら、口には出せない部分を胸中で呟く。
仄かに灯った心の奥の明かりが何なのかは、今は考えないでおくことにした。
〜END〜 (2006.09.24 written by Saika hio)
<あとがき>
ネオロマオンリーイベント『アンジェ金時』にサークル参加した際に無料配布させていただいたものです。
いつも砂吐きラブ甘かヘンテコ設定なシリアスが多いので、あえて出逢って間もない頃の二人。
以前同人誌のほうでミニゲームの蹴鞠演戯をモチーフにした話を書いたので、今回は遊気野祭で(笑)。