許されるなら、あなたの側に

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 いつもと同じ放課後。
 いつもと同じように教室を出て、オーケストラ部の部室へ向かう。
 何の変哲もない、いつもの行動だ。
「さっさとしろよかなで、置いてくぞ」
「え、ちょっと待ってよ響也」
 わたわたと荷物を纏めるかなでを、先に扉の方へ向かった響也が呆れ顔で振り返る。
 慌ててそれを追いかけるのも、いつもと同じだ。
「ったく、おまえはいつまで経ってもトロくせぇな。……ああ、走らなくていいから机にぶつからずに来い」
 ガタガタ音を立てながら駆け寄るかなでに響也が苦笑を零す。
 置いていくと言ったのは本気ではなかったのか、位置をずらしてしまった机をきちんと元に戻してから扉へ辿り着くまでの間、彼はちゃんと待っていてくれた。
「おまえが慌てるとロクなことねぇからな。忘れ物ねぇか?」
「うん、大丈夫……だと思う」
「ホントかよ」
 いつもの軽口と笑い声が、かなでの胸をふわりと温める。
 響也の隣が心地良い居場所だと気付いたのは、いつだったろう。
 もう思い出せないほど前のような気がする。
 それくらいずっと響也とは一緒にいて――いつしかそれが当たり前になっていて。
 衝動的とも言える勢いで星奏学院へ転校したかなでに、何だかんだと文句を言いながらもついてきてくれた。
 かなでの祖父に泣きつかれたから仕方なくだと響也は言うが、口で言うほど簡単な決断ではなかったであろうことはかなでにも分かっている。
 申し訳ない気持ちは、もちろんある。
 けれどそれと同じくらい、こうして一緒にいられる時間が続いていることを嬉しいと思う気持ちが強いのも事実で。
 今までと同じ時間を過ごしていても良いのだと、許しをもらえたかのように感じてしまう。

 ――勝手な思いこみだと言われてしまえば、それまでかもしれないけれど。 

「おや……お二人さんお揃いで」
 エントランス前で面白そうに声をかけられた。
 長い髪をさらりと揺らして笑う美少女は、普通科の生徒だがよく知った相手だ。
「相変わらず仲がいいな。羨ましいことだ」
「うるせーな、ほっとけよ支倉」
 面倒そうに響也が言うと、支倉仁亜――ニアはますます面白そうな笑みを口元に刷く。
「放っておけと言われると、逆に何かあるのかと勘ぐりたくなるものだぞ。……まあ残念ながら、あまりスクープの香りはしないがな」
「分かってんじゃねーか」
 確かに響也とかなでが連れ立って歩いているのはいつものことなので、今さら取り立てて注目するようなことでもない。
 ニアも分かっていてわざと言っているのだろう。
 響也の反応を見る目が明らかにからかいの色を帯びている。
 それもまた、いつものことだ。
「あ、如月!」
 不意に背後から呼びかけられ、響也が振り向く。
 かなでも釣られて声の方を見遣ると、同じクラスの男子が駆け寄ってくるところだった。
「さっき言い忘れたんだけどさ、明日の一限目の――」
 男子は人懐っこい笑顔で用件を伝えてくる。
 どうやら明日の授業の為に準備室から資料を運んでおかなければいけないということらしい。
 相槌を打ちながら聞いていた響也は、話を聞き終わると心底面倒そうに頭を掻いた。
「それって結構な量なんじゃねぇの?」
「そういうこと。だから悪いけどちょっと手伝ってくんね?」
「ったく……めんどくせーな」
 響也はひとつ嘆息し、持っていた楽器ケースをかなでの方へ差し出した。
「悪ぃ、かなで。これ持って先に行っててくれよ」
「え、わたしも手伝うよ」
「いいよ。おまえに手伝われたら余計な時間を食いそうだ」
「……どういう意味?」
「ははっ、怒るなって。つーか真面目な話、荷物運びだからおまえは気にしなくていいぜ」
 頼むな、と言い置いて、響也はクラスメートと一緒に音楽室棟の方へ向かっていった。
「……端で聞いているとまるっきりカップルの会話なのだがな」
「え?」
 背後でぼそりと呟かれ、かなでは弾かれたように振り向いた。
 ――聞き間違いだろうか。
 視線の先ではニアが物問いたげに微笑んでいる。
「本当に君と如月弟は恋仲ではないのか? 別に隠さなくてもいいんだぞ?」
「え!?」
 聞き間違いではなかったようだ。
 かなでは耳まで熱くなるのを自覚しながら、あわてて頭を振った。
「ち、ちがうよ! ていうか別に何も隠してないし!」
「そうなのか? ……まあその方が面白味があるというものだが」
 後半は独り言のように呟くニア。
 何が面白いのかはよく分からないが、とりあえず納得はしてもらえたらしい。
 ニアはそのまま何かを考えるような目をしてから、思わせぶりな微笑のままふと首を傾げた。
「だが、いつも一緒にいて不都合はないのか? どちらかに、他に好きな相手でもできたらどうするんだ」
「……え」
 何気ない疑問は小石のように、かなでの心の水面に小さく波紋を作った。
「どう、って……」
 波紋は少しずつ広がって、かなでの胸をざわりと粟立たせる。
(他に、好きな人……?)
 考えたこともなかった。
 というより、かなでが好きなのは響也なのだから、そこは問題ないはずで。
 だから、可能性があるとするならば――。

(響也に……好きな人ができたら……?)

 ただの可能性。
 もしもの仮定の話。
 ただそれだけのほんの一言なのに、驚くほど鋭くかなでの胸は悲鳴を上げた。

 ――考えただけで、苦しくてたまらない。 

「いや、すまない。そんなこの世の終わりのような顔をされるとは思わなかった」
 いつになく慌てた様子でニアが言う。
「君の方がそういう想いなら問題ないんだろう。……如月弟の方は分かりきっていることだしな」
 またもや微笑を零されたが、そのあたりはもうかなでの耳には入っていなかった。
 何と言ってニアと別れ、どこをどう歩いて部室まで辿り着いたのかもよく覚えていない。
 まだ誰もいない部室の机の上に響也と自分の楽器ケースをゆっくりと置く。
 その間もずっと心の中には同じ言葉が渦巻いていた。
(響也が――側から、いなくなる……?)
 もしも本当にそんな日が訪れたら。
 笑って受け入れることができるのだろうか。
(あんまり……自信ないなあ)
 否、自信がないどころではない。
 もっとはっきり言ってしまえば――。
(イヤ、だな。そんなの……やだよ)
 いつも側にいるのが当たり前だと思っていた。
 それが許されているのだと、何の疑問も抱かず傲慢に思っていた。

 けれど――そうでなくなる日がきたら。

「あー、ったくどんだけあんだよあの資料……あれ、まだ他のヤツら来てないのか」
 勢い良く扉が開き、荷物運びの愚痴と共に響也が入ってきた。
 扉に背を向けたまま、かなでの鼓動が激しく跳ねる。
 振り向こうとして、頷こうとして、笑おうとして――そのどれも上手くいかなかった。
「楽器サンキュな、かなで――って、え……?」
 軽い調子でかなでの肩を叩いて前へ回り込んできた響也は、目を見開き息を呑み、それから声を上げて後ずさった。
「な、なななななに泣いてんだおまえ! どうしたんだよ!?」
 突然の出来事に一瞬でパニックに陥ったらしい響也はあたふたと周りを見回し、かなでの顔を覗き込み、「オレか? オレのせいか?」などと口走っている。
 その慌て方が妙に可笑しくて、悪いとは思いながらも少しだけかなでの心は落ち着いてきた。
 なんとか首を上げ、横へ向けて振ってみせる。
「ちがうよ、なんでもない――ごめん、なんか……急に泣けてきちゃった」
「泣けてきちゃった、っておまえ……なんもなくて泣かないだろフツー」
「うん、そうだよね――えっと、目にゴミが入っちゃったのかも」
「かも、って……よく分かんねぇヤツだな」
 使い古された感のある言い訳だが、多少なりとも説得力はあったのだろうか。
 呆れ声で嘆息しながらも、何気ない手つきで頭をポンポンと撫でてくれる響也。
 こういう優しさは反則だといつも思うのだが、心地良いのだから何も言えない。
 切ない痛みはまだ胸に残っていたけれど、かなではしっかりと顔を上げて微笑んでみせた。
「ごめんね、もう大丈夫。あ、そうだ、みんなが来るまで一緒に弾こうよ」
 いきなり立ち直ったかなでを見て明らかに面食らっていた響也だったが、ややあって彼は小さく苦笑を零した。
「ったく……ホントわけ分かんねぇヤツ」
 言いながら楽器ケースを開いているのは、合奏に応じてくれるということなのだろう。
 それだけで無性に嬉しい。
 無理をして作っていた笑顔が、一瞬で本気のそれに変わる。

 ――やっぱり、ここにいたい。

 ここが――彼の隣が、自分の居場所であって欲しい。
 自分勝手なわがままかもしれないけれど、それでも。


 ――許されるなら、あなたの側にずっといたい。


 (Saika Hio 2010.05.04)

【あとがき】
どーにもコルダでこういう恋愛色の濃い話は難しいですね…!
特に今回かなでちゃん視点で書いたので、余計にだと思うんですが。
やっぱりデフォルトで喋ってくれてないと性格づけが難しい…。
こういう「自分だけが片想いだと思いこんでる状態」は非常に楽しいです(何)。
響也の方はそれこそかなでちゃんしか目に入っていない状態なので、読み手からしたら「ねーよ!」だと思いますが(笑)。


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