教室に入る前から、それは聞こえてきた。
「――なのかな? やっぱりそうだよね! わたしもそう思ってたんだー!」
明るく弾む、真夏の太陽のような声。
どこにいてもすぐに分かる――幼い頃からずっと、すぐそばにあった音色。
「おっ、話が分かるじゃねぇか小日向。だよなー、それって大事だよな」
「うんうん分かるよー!」
相当話が弾んでいるらしく、かなでの声はかなりはしゃいでいる。
会話しているのはクラスメートの男子だ。
――なんとなく、どころではなく、あからさまに面白くない思いが即座に胸中を駆け巡る。
息を静かにひとつ吸い、響也は教室の扉を勢いよく引き開けた。
途端に会話は止み、二対の瞳が真っ直ぐにこちらを見る。
「あ、響也おかえり〜。もう日直の仕事は終わった?」
一点の曇りも無い笑顔で、かなでが言う。
あっさりと毒気を抜かれてしまいそうになるのは、いわゆる惚れた弱みという奴なのだろうと思う。
が、その隣にいるクラスメート男子の存在が響也の頬に素直な笑みを刷くことを邪魔した。
「――ああ」
口をついて出たぶっきらぼうな返答に反応したのはかなでではなく、隣の男子のほうだった。
「おっと、じゃ俺はそろそろ部活に行くわー。じゃな、小日向、如月」
「うん、またねー」
「……おぅ」
去り際に意味ありげな視線を向けられたあたり、こちらの心情はおそらく読み取られていたのだろう。
ばつが悪い事この上ないが、そう上手く感情をコントロールできるほど響也も大人ではない。
やれやれ、と内心で溜息が零れる。
かなでが絡むとどうしてこう、平静でいられないのだろう。
「響也、何かあったの? 表情硬いよ?」
「……別に」
おまえが言うなと言ってやりたかったが、さすがにみっともないので止めておいた。
あえて多くは語らずに自分の席へ向かい、教科書やらノートやらを鞄にしまっていく。
だがかなではそのままじっとこちらを見つめており――ややあって、ぽつりと呟いた。
「もしかして……やきもち妬いてる?」
「! なっ――!」
究極の不意打ちをくらったおかげで、教科書が飛ぶように手から滑り落ちた。
本の背で足の甲を直撃されたことすら全く気にもならない勢いで、派手に心臓が跳ね上がる。
「ば、バカなこと言ってんじゃねーよ! なんでオレが――っ」
「ふーん……そっか」
響也の動揺が分かっているのかいないのか、大きな瞳を瞬くかなで。
いっそ小憎らしいとさえ思うほど、その表情はいつもと変わらない。
どういう思惑で発した質問なのかと問いたいが、上手い言葉など見つかりそうもなかった。
(な、なんでこんなテンパってんだオレ……)
よく考えたら、今は大っぴらにやきもちを妬いても良い立場ではあるはずなのだ。
これまでとは違って自分たちはもう一応――恋人同士という間柄なのだから。
けれど、近いのか遠いのか分からない微妙な関係性があまりにも長すぎたせいだろうか。
それとも生来の性格のせいなのだろうか。
なんにせよ、そんな感情を素直に表現する術を響也は持ち合わせていないのだ。
するとかなでは、ふいと響也から視線を逸らした。
「そうなんだ……響也ってばやきもちも妬いてくれないんだ……」
薄紅色の唇が小さく尖る。
恨みがましい響きは気のせいではないだろう。
「は……え!?」
予想だにしなかった返しを受けて、先刻の比ではない勢いで鼓動が跳ねた。
「な、ななななに言ってんだおまえ! 意味わかんねーぞ!」
口をついて出た言葉は紛れもない本音だ。
これではまるで――やきもちを妬いてほしかったみたいではないか。
(みたい、じゃなくて……そう、なのか――?)
とくん、と静かに、先刻とはまた違う音が胸を叩く。
ほんの少しクラスメートと話していたくらいでまんまと妬いてしまったのは事実だ。
だがそんなことをはっきり告げるのはあまりにも情けないし子どもっぽいし――とにかく響也のプライドが邪魔をする。
そう思っていたのに、まさかかなでの方からこんな反応をされるとは思わなかった。
斜めに俯いた頬はふわりと髪に隠され、表情は分からない。
落ち込んでいるのか傷ついているのか、それとも――。
「かなで、おい――」
何を言おうか決めていたわけでもないのに、突き動かされるように名前を呼んでいた。
と、同時に。
「――なーんてねっ」
唐突に響いた明るい声。
ぱっと上げられた顔は、夏の日差しもかくやとばかりに輝いている。
「………は?」
「えへへっ、響也の反応が面白いから、ついからかいたくなっちゃった。ごめんね?」
「……っ!」
開いた口が塞がらない。
なんなのだ、この余裕の笑みは。
(こ、こいつ……っ、まさかわざとやってんのか……?)
邪気の欠片も感じられない笑顔が腹立たしい事この上ない。
だが、本気で怒る気には到底なれなかった。
何故か、などと――理由は考えるまでも無い。
盛大な溜息をひとつ吐き、響也は落ちた教科書を拾って鞄へ入れた。
「ったく……バカ言ってねぇでさっさと練習行くぞ」
流されたことが意外だったのか、かなではただ瞬きを繰り返すのみだ。
少しだけ迷ってから、響也は片手を真っ直ぐに差し出した。
「――ほら」
驚きも露なかなでの顔を見ていたら、自然と笑みが浮かんできた。
無性に余裕めいたものが全身へ満ちていく。
響也の顔と手を交互に見ていたかなでは、やがて再び嬉しそうに笑った。
「うん!」
静かに重なった手をゆっくりと握る。
どこからか聴こえてくるヴァイオリンの音色が、二人きりの教室の中を穏やかに駆け抜けていった。
(2010.02.28 Saika Hio)
【あとがき】
コルダ3初クリア記念(笑)。
響也は私の萌えツボ設定満載で、もうどうしてくれようかってくらいです(どうもしなくていいです)。
この二人の関係性はこんな風に、響也がちょっと振り回されてる感じを醸し出しつつもやるときはやる、みたいなのが理想です。
私が書くと単なるヘタレですがね!(うわーん)