とまれ、涙

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 どこか様子がおかしいとは思っていた。
 ここ数日、ずっと。
 けれどそれが具体的に何なのかは分からなくて。
 問うてみようにも上手い言葉が見つからなかった。
 それをこんな風に後悔することになるなんて。
 見たこともないほど消沈した肩。
 力なく笑う自嘲の瞳。
 幼い頃からずっと一緒にいるのに、こんな響也を見るのは初めてだ。
「響也……」
 胸が痛い。
 もっとちゃんと話を聞くことができていたら、違っていたのだろうか。
 そう思うのに、今この場でさえも――何を言ったらいいのか分からない。
 今のかなでにたったひとつできたのは、黙ったまま彼の隣のブランコに座ったことだけ。
 最初こそ帰れと言っていた響也も、もう何も言わなかった。
 そのことに少しだけ安堵しながら、俯く横顔に目を向けてみる。
 かなでの視線に導かれるように、虚ろな視線を地面へ落としたままで、ぽつりぽつりと響也は語り始めた。
 他人の意見に振り回されることの無意味さと、腹立たしさ。
 考えれば考えるほど分からなくなっていく負の螺旋。
 やがてそれは空しさへと変わり、いつしかゆっくりと心を蝕まれていたのだろう。
 掠れた声を絞り出すように、彼は言った。
「オレはもう……ヴァイオリンなんて、やめたい……!」
 それはまるで鋭利な刃のように、かなでの胸を突き刺した。
 いつも傲岸とさえ言えるほどの自信を見せる響也が、震える声で吐き出した本音。
 どれほどの重みを持つ言葉なのかは、かなでにも分かる気がした。
 俯き続ける頬を透明な滴が伝ったように見えたのは、一瞬のこと。
 既に薄暗い中では視界に自信もないけれど、不思議なほどそれは鮮明にかなでの瞼に焼き付いた。
「響也……っ!」
 立ち上がったのも手を伸ばしたのも、意識しての行動ではなかった。
 自分のどこにこんな衝動性があったのだろう。
 涙を止めてほしいだとか、つらい気持ちを少しでも和らげて欲しいだとか、そんな大それたことを明確に思ったわけではなくて。
 ただ、見慣れたはずの肩がひどく脆いものに見えたから。
 そのままにしていてはいけないと、胸の奥の何かが叫んだから。
「かな、で……?」
 呆然と呟く響也の声が、いつもよりもずっと低い位置から聞こえる。
 両の指先を硬い髪の先端がくすぐって、胸の奥までもざわめかせる。
 こみ上げてくる熱いものを制御することもできないまま、溢れ出した涙が頬を伝い落ちていく。
 響也が息を呑む音がはっきりと聞こえた。
「なんで……おまえが泣くんだよ」
 そんなこと、自分でも分からない。
 何故なのだろう。

 ――響也のつらさが、まるで自分のことのように苦しいのは。

「泣くなよ――頼むから」
 いつになく狼狽を露わにした声で、響也が呟く。
「おまえにまで泣かれたら、オレは……どうしたらいいか分からない」
 困らせたいわけでは決してない。
 けれど、自分一人でこの涙を止めることもできそうになくて。
 嗚咽を堪えながら考えた言葉を、かなでは小さく告げた。
「じゃあ……じゃあ響也も、もう泣かないで」
 もっと上手く言えたらいいと思うのに、気の利いた言葉など見つかりそうにない。
「自分だって泣いてるのに、わたしにだけ泣くなって言うのはずるいよ」
「あのなあ……ずるいとかそういう問題じゃねぇだろ」
 さすがに響也も呆れを隠しきれない様子だ。
 でも言いたいことは間違っていないので、かなでは黙ってかぶりを振った。
 ややあって響也の口からこぼれたのは、微かな溜息だった。
「……分かったよ」
 根負けしたと言わんばかりの、苦笑混じりの声。

「分かったから――泣くなよ」

 ゆっくりと伸びてきた片手が、ぎこちない仕草でぽんぽんと背を叩いてくれた。  
 その温かさが、再び目頭を熱くさせる。
 けれどその涙を必死に押し込めて、かなでは大きく頷いた。 
 それ以上はもう、言葉にしなくても伝わる気がした。
  
 (Saika Hio 2010.06.06)

【あとがき】
 このお題で自分ひとりだけの涙だったらありきたりすぎるなあ…と思ってて、こんな感じになりました。
 例のイベントのかなでちゃん視点という形です。
 ゲームのイベントそのままを書くのはあまり得意ではないんですが、このイベントはいろいろ形を変えて書けそうな気もしますね(やっぱり要になるイベントだし)。
 ラストあたりの響也をちょっとカッコよく書きすぎたような気がしないでもないんですが、そこは書いた人の願望ということで、ひとつよろしくお願い致します(何を)。


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