手の上で踊らされてるのか、もしかして

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「おはよう、ゆき! おまえは今日も可愛いな!」
 どこまでが挨拶なのか分からないような台詞が、顔を合わせた途端に飛んできた。
 恥ずかしいことこの上ない発言だが、言われた本人はふわりと笑いながら手を挙げている。
「おはよう都。今日も元気そうだね」
「私はいつでも元気だよ。おまえのそばにいられる限り、な」
「もう、都ったら」
 何も知らない者が聞いたら間違いなく恋人同士の会話だと思うだろう。
 八雲都が女であると知っている身であっても未だに慣れず、非常に居たたまれない。
 常日頃からこんな調子だから驚くことはないが、おそらく今の場合はわざとだろう。
 ちらりとこちらを向いた都の視線が明らかにそう言っている。
「……おい、ゆき。今日はいろいろ用事をこなさなければならないんだ。こんなところで油を売っている暇はない」
「あ、そうだね。ごめんねチナミくん」
 都を完全無視の形でゆきへ向き直ると、素直な謝罪が返ってきた。
 だが歩き出そうとしたところでその足が止まる。
「あっ……チナミくんごめん、忘れ物してきちゃったみたい。取ってくるから待っててくれる?」
「ああ、わかった」
 しっかりしているのか抜けているのかわからない元龍神の神子は、慌てて宿の中へ戻っていった。
 都と二人で残されてしまい、非常に居心地が悪い。
 沈黙に耐えかねて、思わず自分から声をかけてしまった。
「八雲、おまえはどうしていつまでもここにいるんだ。オレたちの用事におまえは関係ないだろう」
 途端に都は、ゆきへ向けていた笑顔を一変させた。
「うるさいな、それこそおまえには関係ないね。あの子はおまえを選んだかもしれないけど、私が傍にいることを拒まれたわけじゃない。おまえにとやかく言われる筋合いはない」
「なんだと……っ」
「だいたい一人前に恋人面してるけど、恋人らしいことなんてしてやれてるのか?」
「なっ――!」
 恥じらいの欠片もない挑発が、チナミの体温を瞬時に上昇させる。
 だが反論しようとするより先に都がひらひらと手を振った。
「なーんてな。甘い言葉のひとつも囁けなさそうなおまえに、何ができるわけもないよな。悪い悪い、聞くだけ野暮ってもんだった」
「貴様……っ!」 
 聞き捨てならない発言だが、うまく返せる言葉が出てこない。

 何故なら――それは悲しいほどに事実だからだ。

「っ……、オレは――」
「お待たせチナミくん!」
 ばたばたと宿から出てきたゆきによって、不毛な会話は強引に打ち切られた。
 悔しいが、助かったと思ってしまったのもまた事実で。
 都がどれほど得意げな顔をしているのだろうと思うと、到底そちらを見遣ることもできなかった。
「い、いや……別にそれほど待ってはいない。では行くか」
「うん。じゃあまたね都」
「ああ、またな」
 まるで何事もなかったかのような笑顔で手を振る都。
 チナミは内心で深い深い溜息を落とした。


 *     *     *


 考えても仕方ないことなのはわかっている。
 だがどうしても、あれからずっとチナミの意識にはひとつのことが引っかかっていた。
(恋人らしいこと……甘い言葉、か。あいつもそれを望んでいるのか……?)
 ゆきは基本的に、何かを望んだりねだったりすることをしない。
 遠慮しているとかそういうことではなく、それが彼女の性格なのだろう。
 与えられるものに感謝し、それ以上を望まない。
 そういうところも好きになった理由のひとつではあるのだが、だからといって甘んじていてはいけないと思うのも確かだった。
 やはり男である自分から言うべきことというものも、あるような気がする。
(難しく考えず、思っていることをそのまま言えばいいのかもしれん。たとえば八雲のように――)
 臆面も何もない普段の都の言動を思い起こしてみる。

 ――『おはよう、ゆき! おまえは今日も可愛いな!』

 それをそのまま自分が言っている様を続けて思い描いてみようとしたが、残念ながら想像力がついていかなかった。
(む、ムリだ……オレにはとてもあんな恥ずかしいことは言えん!)
 改めて、都が如何に普段からとんでもない発言ばかり繰り返しているのかを思い知る。
 あまりにも自分の理解の範疇を超えすぎていて、考えただけで穴があったら入りたくなってきた。
(だが……オレだって思っていないわけじゃないんだ)
 誰よりもゆきが好きだし、可愛いと思っている。
 その気持ちに偽りはないのだから、本人に告げることは何も恥ずかしいことではないのかもしれない。
(そ、そうだ。オレはあいつに想いを告げることはできたんだ。ならば『かわいい』のひとことくらい、言えないはずはない!)
 勢い任せだったとはいえ、好きだという言葉は既に告げている。
 もうそれ以上の恥ずかしさなど、物の数ではない――はずだ。
 半ば強引に自分へ言い聞かせ、チナミは拳を握りしめた。


 *     *     *


 次の日の朝。
「お、おはよう、ゆき」
「おはようチナミくん」
「その、おまえは今日も――」
「え?」
 いつもと変わりなくゆきが微笑んでくれている。
 その笑顔に少なからず勇気をもらえているような気がして、チナミは密かな決意を形にしようと努力してみた。
「おまえは、その、か、かわ――」
「かわ?」
「かわ――っ、かわ、川べりの団子屋に行かないか!」
「え? お団子?」
「あ、ああそうだ、団子だ! あそこの団子をまたおまえと一緒に食いたい!」
「うん、いいよ。じゃあさっそく行こうか?」
「………………ああ」
 その場に座り込んで両手をつき、がっくりと項垂れたい衝動に駆られる。
 今ほど己を情けないと思ったことはない。
 ゆきはにこにこと無邪気な笑みを浮かべて、チナミの様子になど気づいていないようだった。
「嬉しいな、チナミくんから誘ってくれるなんて」
「あ、ああ……」
 言葉の通り、ゆきはとても嬉しそうだ。
 その笑顔を見ているだけで、鼓動が正直に速まっていく。
(ま、まだこれからだ。団子を食いながらでも言うことはできる!)
 予想外の展開ではあったが、二人で出かけることができるのなら機会はまだいくらでもある。
 だが並んで歩き始めても団子屋に到着しても二人分の団子を買い求めても、肝心のひとことはなかなか出てきてくれなかった。
 川沿いの適当な場所に腰掛けて団子の包みを開けながら、チナミはいよいよ途方に暮れ始めた。
 自分の言葉なのに、何故こうもままならないのだろう。
(いや、そもそもオレはなんでこう意地になっているのだったか……)
 改めて根本的なことを思い返してみる。
 そうだ――きっかけは都だ。
 彼女があまりにもあっさりと、チナミにできないことをやってのけるから。
 それが悔しくて、もどかしくて――きっかけはそこだった。
 よく考えたらあまりにも子どもじみている。
(オレは……八雲の手の上で踊らされてるのか、もしかして)
 今さらのようにそんなことを思い、脳天を何かで殴られたような心地に見舞われる。
 知らず、はぁ、と溜息が落ちていた。
「チナミくん? どうしたの?」
 既に団子を食べ終わったゆきが心配そうに顔を覗きこんでくる。
 瞬く睫があまりにも近い距離にあって、チナミは一瞬で我に返った。
「! い、いや、なんでもない!」
 ぎこちなく首を横へ向け、ゆきの視線から逃れる。
 それが更にゆきの不安を煽ることになるなど、考えも及ばなかった。
「チナミくん……なにか怒ってる?」
 急に萎れてしまったゆきの声が胸を突く。
 チナミは慌てて振り返った。
「は……? いや、別にそんなことはないが……なんでそうなるんだ?」
「だって、なんだか元気がないし、どこか上の空みたいだし」
「っ……そ、それは」
「なにか言いにくそうにしてるし。もし何かわたしに怒ってて、でもそれを言い出せないとかだったら、遠慮しないでちゃんと言ってね?」
「な――」
「チナミくんに嫌われちゃったら、すごく悲しいから……ダメなところがあったらちゃんと直したいの。だから――」
「ばっ――馬鹿かおまえは! なんでそんな話になる!」
 なんでも何も、チナミ自身の不審な態度が招いた誤解であることは明らかだ。
 悲しげなゆきの双眸から今にも涙が溢れそうに見えて、それだけでもう何も考えられなくなった。
「オレがおまえを嫌うなど、あるはずがないだろう! むしろ逆だ! お、おまえがあまりにもその――か、可愛いからいけないんだ!」
「え? え……ええと」
 ゆきの眼が大きく見開かれる。
 あんなに言いあぐねていたひとことを勢いで言ってしまったことに気づいた瞬間、朱雀の炎に焼かれたかのように全身が熱に包まれた。
「っ――! い、いや、その――」
「よくわからないけど、やっぱりわたしが何かいけなかったんだよね? ごめんねチナミくん」
「い、いやだから違うと言っているだろう! いいいいけなくはない!」
 もはや何を言っているのか自分でもわからなくなってきた。
 だがゆきの誤解を解くには、思っていることをそのまま伝える以外に方法がないことだけはわかる。
「いけないなんてことはない。おまえはなにも悪くなんてない。ないが――」
「チナミくん?」
「だが、その……オレの心臓がもたない」
 可愛いとか、いつもそばにいたいとか、ずっと一緒に生きていきたいだとか。
 言葉は様々でも、想いはひとつだ。
 ゆきへ向かうこの想いは、誰かと張り合ったりする必要などないくらいに――揺るぎないのだから。
「おまえのことが好きすぎて、どうしたらいいのかわからなくなるんだ。オレは気の利いたことも言えないし、おまえを不安にさせているだけなんじゃないかと思うと――」
「そんなことないよ」
 静かに、だがきっぱりと遮る声。
 俯き気味に喋っていたチナミは、はっと顔を上げた。
「チナミくんはいつでも傍にいてくれるって、ちゃんと知ってるから。不安になるなんてことないよ、絶対」
「……っ」
「ありがとうチナミくん、いつもわたしのことそんなに真剣に考えてくれて」
「い、いや……」
 礼を言われるのも居心地が悪い。
 チナミにとってそれは至極当たり前のことであり、誰かに何かを言われる筋合いのことではないのだから。
(ああ、そうか――そうだよな)
 ようやく基本的なことに気づいた。 
 都がいくら甘い言葉をゆきに囁こうと、それを元に挑発してこようと、関係ないのだ。
 チナミにはチナミの想いがあり、それはチナミのやり方でしか伝えられないのだから。
「そうか……ありがとう。やっぱりオレはおまえから大事なことを教えてもらってばかりいるな」
「え、何が?」
「いや、わからないならいいんだ」
 首を傾げるゆきに、チナミは穏やかに笑ってみせた。
 ゆきが分かっていなくても、チナミが知っていればそれでいい。
 吸い込まれそうに澄んだ瞳がまっすぐに見上げてくる。
 高鳴っていく鼓動を止められそうになくて、息を呑んだ――次の瞬間。
 チナミは弾かれたように背後を振り返った。
「ち、チナミくん? どうしたの?」
 そのまま鋭く辺りを見回し始めたチナミに、ゆきがおろおろと声をかける。
「いや、今までの経験から察するに、だいたいこういうあたりで八雲の邪魔がだな……」
 いつもいいところで割って入られるのだから、いい加減こちらも学習するというものだ。
 だがいくら周囲を観察しても、それらしい気配は感じられなかった。
 珍しいこともあるものだと思いながら、傍らのゆきの視線を受けて我に返る。
「す、すまない……今はおまえと二人でいるのだから、集中すべきだな」
「うん、そうしてくれると嬉しいな」
 にっこりと笑った顔が、心なしか赤い。
 と思った途端、その頭が肩に寄りかかってきた。
「なっ――!」
 いきなりの出来事に全身が硬直する。
 頬に柔らかな髪が触れてくすぐったいが、もちろん嫌ではない。
 飛び出しそうな心臓を必死で宥めすかしながら、細い肩をチナミはそっと抱き寄せた。




「……で、そろそろ邪魔に入るタイミングではないのですか?」
「そうなんだよなあ、そう思ってたんだけどさ」
 二人から十里ほど離れた建物の陰で、不敵に笑うアーネストとつまらなさそうに溜息をつく都がいた。
「なーんか生意気にも読まれちゃってるし? まあ今日はやめといてやるかな」
「ふふ、優しいのですね」
「そりゃどうも。今後一切邪魔しないとは言ってないけどね?」
 爽やかに笑いながら不穏なことを言い放つ都を見ながら、アーネストが優雅に肩をすくめる。 
 水面を撫でる暖かな風が、平穏な時間を優しく包んでいた。


(Saika Hio 2011.04.17)


【あとがき】
遙か5で二次創作はぜんぜん考えていなかったのですが、なんか急にネタが降ってきたので書いてみました。
ED後、現代へ行く前に残務をこなしている頃の二人。
こういうもどかしいのが大好物なので、趣味に走りまくりました。
「川べりの団子屋」のあたりが最高に楽しかったです。
アホですいません(私が)。

(※以前ブログに掲載したものです)


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