さっきまでと違う顔

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「ほんとに大丈夫か?」
「大丈夫だって。イサトくん心配しすぎだよ」
 気遣わしげに眉を寄せる目の前の少年に、花梨はにっこりと頷いてみせる。
 するとイサトはやや心外そうに唇を尖らせた。
「そりゃしょうがねぇだろ、今の京は本当に物騒なんだ。ちょっとでもおまえを一人にするのは不安なんだけどよ……」
「でもお寺の用事があるんなら仕方ないよ」
「ああ、まさかおまえと一緒にいるときに急な用を言いつけられちまうなんてな……ったく」
 言いながら面倒そうに頭を掻くイサト。
 だが言葉ほど役目そのものを疎ましく思っているわけではないことは、見ていればなんとなく分かった。
 ただ、花梨を一人にすることに責任を感じているのだろう。
 京を案内してやるとイサトに言われ、連れ立って出かけてきたこの東寺でたまたまイサトの寺の者と出会ったのは先刻のこと。
 その者は別件の仕事があるからと他の場所へ行ったのだが、去り際に東寺での用事をイサトに言いつけて行ったのだ。
 さほど複雑な用事ではないからすぐ終わるとイサトは言うので、それならば待っていようと思ったのだが、思いのほかイサトのほうが気にしてしまっているらしい。
「大丈夫だよ。この門の前なら人もたくさんいるし、ちゃんと気をつけてるから」
 少しでも安心してもらえるよう、殊更に明るい声で言ってみせる。
 自分のせいでイサトの仕事の邪魔をしてしまっては申し訳ない。
 それ以上あれこれ言っていても仕方ないと思ったのか、イサトも覚悟を決めたように頷いた。
「分かった、じゃあさっさと済ませてくるからここにいろよ。何かあったら大声で呼べよな」
「うん、そうするよ。いってらっしゃい」
 ひらひらと手を振る花梨へ同じように手を挙げ、イサトは寺の中へ駆けていった。
 残された花梨は、行き交う人々を見るとも無しに見遣った。
 人通りは決して少なくないが、お世辞にも活気があるとは言い難い。
 それはきっと、この京を覆う末法思想のせいなのだろう。
 まだこの世界へ来てほんの数日の花梨にさえ、ひしひしと伝わってくる絶望感。
 ――自分がこの世界を救うことなど、本当にできるのだろうか。
(わたしに何ができるのかな。八葉って呼ばれる人たちも、まだ半分しかいないのに……)
 それらしき人には何人か出会ったが、協力してもらえそうな感じではなかった。
 いつか分かってもらえる時が来るのだろうか。
 うっかり思考に沈み込んでいきそうになった、そのときだった。
(あれ、あの人……)
 目を惹く朱い色が視界に飛び込んできた。
 否、視線を奪われるのはその色のせいばかりではなく、個性的な着方の為だ。
 会ったのは一度だけだが、様々な意味で個性の強い人だったのでよく覚えている。
(勝真さん、だっけ。またこのあたりを見回りしてるのかな?)
 思わず目で追ってしまっていたのは無意識の行動だった。
 あまり愛想が良いとは言えない表情で、周囲を見回しながら歩く長身の姿。
 ――と、不意にその動きが止まった。
 しかも花梨のいる方をじっと見据えたまま。
(あ、あれ……?)
 もしかしなくても、目が合っている――ような気がする。
 気のせいではない証拠に、勝真は大股でこちらへ近づいてきた。
(うわ、怒られる――!)
 初めて会った時にじろじろ見るなと言って睨みつけられたことが、脳裏へ鮮明に蘇る。
 だが今さら視線を外すことも踵を返すこともできない。
 ただ立ち尽くすばかりの花梨の前へ、勝真はそのまま真っ直ぐに辿り着いた。
「おい、おまえ……この前イサトと一緒にいた奴だな」
「は、はい、ごめんなさい!」
「何を謝ってるんだ。何か謝らないといけないようなことでもしたのか?」
「いえ、あの、そういうわけじゃないんですけど……」
 怯えを気取られないよう努めて平静を装ってみせるが、やはり相手はとことん不機嫌そうにしか見えない。
 何をじろじろ見ていたのかと、また怒られても何ら不自然ではないくらいには。
 だが意外にも勝真は声を荒げることなく、花梨の周りを見回してから言った。
「こんなところで、一人で何をしているんだ。今の京は物騒だって、この前も言わなかったか?」
 荒い口調ではないが、穏やかなわけでもない。
 機嫌が良いとはお世辞にもいえない態度だ。
 だが――威圧感があることに変わりはないものの、ふとそれまでとは違う感覚が胸に宿った。
(し、心配してくれてる……のかな?)
 わざわざ声をかけてくれたのは、そういうことなのだろうか。
 思い込みと言われてしまえばそれまでだが、なんとなく間違っていないような気がする。
 それに気付いた途端、ふわりと温かい心地に全身を包まれたような気がした。
 不思議なもので、たったそれだけで目の前の気配が違う色を帯びたように見える。
 勝真の表情は先刻までと変わらず、どちらかといえば仏頂面に近いままなのに。
「あの、違うんです。一人でここまで来たわけじゃなくて――」
「おーい花梨、待たせたな!」
 元気の良い呼び声と共に、長い髪を弾ませながらイサトが戻ってきた。
 だが花梨の隣に立つ勝真の姿を見て、その顔が驚きに変わる。
「勝真……何やってんだおまえ」
「イサトか。それは俺の台詞だ」
 花梨に向けていた視線を更に引き締めてイサトへ向き直る勝真。
「こいつと一緒にここまで来たのか?」
「ああ、そうだぜ」
「だったら一人で放り出して、何をやってるんだ。今の京が安全じゃないことはおまえもよく分かってるだろう」
「それは……」  
「あのっ、違うんです! たまたまそういうことになっちゃっただけで」
 変わらず不機嫌そうな勝真と口篭るイサトを交互に見遣り、花梨は慌てて口を挟んだ。
 イサトが席を外すことになった経緯を、そのまま手短に説明する。
 どうやらそれで納得してくれたらしく、勝真は小さく息を吐いた。
「……とにかく、気をつけろよ。特におまえみたいに京に不慣れな奴は危なっかしくて敵わない」
「はーい、気をつけます」
「……何を笑ってるんだ?」
「い、いえ、別にそんなことは」
 慌てて被りを振った花梨へ、勝真はそれ以上追及してくることはなかった。
 そして軽く手を挙げ、そのまま歩き去っていく。
 朱い着物がかなり小さくなった頃、イサトが意外そうに尋ねてきた。
「なんだ、ずいぶん親しそうに話してたな」
「あ、うん、そういうわけじゃないけど……心配してくれたみたい」
「そっか。あいつは見かけほど怖い奴じゃねぇからな」
「そうだね、そんな感じがしたよ」
 本人に聞かれたらむしろ怒られてしまいそうな会話を笑顔で交わす。
 知り合いらしいイサトがそう言うのなら、先ほど花梨が感じたこともあながち間違いではなかったのだろう。
 見ず知らずの花梨を心配してくれて、わざわざ声をかけてくれて。
 それが仕事上の役目なのかもしれないけれど、それでも純粋に嬉しいと思えた。

 ――あの人が八葉として協力してくれたらいいのに。

 不意に、胸に浮かぶひとつの願い。
 それはいつか叶う日が来るのだろうか。
(叶うと――いいな)
 胸中で呟いた言葉は、仄かな明かりとなって花梨の中に小さく灯ったのだった。


 (Saika Hio 2010.02.14)


【あとがき】
ラブラブも好きだけど、ときどき無性にこういうラブ以前の設定が書きたくなります。
表記に迷いましたがカプではないような気がするので「×」ではなく「+」で。
たまたま2月14日に書きましたがバレンタインとか全く以てなんにも関係ありません(笑)。


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