お約束でも構わない

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「そこ、もうちょいクレッシェンドかけたほうがよくねぇ?」
 響也は音を止め、かなでの楽譜を指で示した。
 するとかなでがこちらを見て頷く。
「あ、うん、そういえば前に合わせた時もそう言ってたよね」
 アンサンブルの練習は個人練習と違い、意見の交わし合いも大切な要素だ。
 それぞれが気づいたことを出し合いながら、より良い音楽を作り上げていく。
 確かに今の指摘は前回の練習でも言ったような気がするが、かなでの意識からは抜け落ちてしまっていたらしい。
 ごめんね、と言いながらかなでは傍らの鞄をごそごそと探り始めた。
「何やってんだ?」
「忘れないように、楽譜に書き込んでおこうと思って。……あれ?」
 言いながら底の方までひっくり返す勢いで鞄の中を見ていたかなでが、やがて困惑したように響也を見た。
「どうした?」
「ペンケース、ちゃんと入れたつもりだったんだけど……忘れちゃったみたい」
 昨夜宿題をするのに使ったまま、入れ忘れてしまったらしい。
 なるほど、かなでならやりかねない不注意である。
 思わず苦笑を零しながら、響也は自分の鞄から一本のシャープペンを取り出した。 
「ったくしょうがねぇな。ほら、これ使ってろよ」
「え」
 差し出されたシャープペンと響也の顔とを交互に見比べるかなで。
 やがてその意味を理解したらしい彼女は、嬉しそうに笑った。
「ありがとう、響也」
「おまえはホント抜けてっからな」
「うう、ごめんね……」
 かなでは情けない声で謝りながら、響也のシャープペンを使って楽譜に書き込みをしていく。
 と、傍らから苦笑混じりの声が響いた。
「ふーん……響也ってひなちゃんには優しいんだな」
 どこか楽しそうな、からかうような声音。
 微かに眉尻を吊り上げ、響也は振り向いた。
「なんだよそれ。かなでには、ってどういう意味だ?」
 棘を隠そうともせずに言ってみたが、大地はのんびりとした笑みを崩さない。
「だってほら、たとえばニアちゃんとかにはけっこう容赦ないだろう?」
 その名前を聞いた途端、響也はあからさまに顔を顰めた。
 言うに事欠いて誰の名前を出すのかと思えば。
「あれは支倉がムカつくことばっか言ってくるからだろ!」
 思い返してみても、ことごとく腹立たしいことしか浮かんでこない。
 とてもではないが、優しくするだとか気を遣うだとか、そんな相手ではないと断言できる。
「だいたい、あんなのとかなでは一緒になんねぇだろ」
 比較対象にすること自体、根本的に間違っているとしか言いようが無い。
「かなでは、その……素直だし、見てて危なっかしいから放っとけねぇし――って」
 当然のように心情を吐露しかけたところで我に返った。
 かっと全身に熱が灯る。
「んなっ――なに言わせんだよ!」 
 噛み付いてみても大地は表情ひとつ変えない。
「いや、別に俺はそこまで追及したつもりはなかったんだけどな」
「白々しいんだよ!」
「はは、なるほどね。……お約束だなあ」
「な、なんだよ、何がだよ!」
 そこまで決定的なことを言ったつもりはないのだが、何もかもを見透かしたような大地の視線が落ち着かないことこの上ない。
 というよりも、口を開けば開くほど深みに嵌まっていくような気がする。
 がりがりと頭を掻いたところへ、更に駄目押しが加わった。
 それまで響也と大地の遣り取りをきょとんと見ていたかなでが、首を傾げて響也の顔を覗き込んできたのだ。
「えっと……なんの話?」
「! な、なんでもねぇよ!」
 流れの一部始終を傍で聞いていてこの反応になるのもどうかと思うが、今はかなでのこの鈍さが心の底からありがたいと思った。
「……すみません、そろそろ練習を再開してもいいでしょうか」
 タイミングを見計らっていたかのように、氷点下を思わせる声が割って入った。
 見遣ると、チェロを構えたままのハルが冷ややかな視線をこちらに投げかけている。
 常日頃から反目し合っている彼の意見に全力で同意したいと思ったのは、これが初めてだ。
「お、おう、そうだよな! さっさと続きやるぜ!」
 話はこれで終わり、と全身で主張し、ヴァイオリンを構え直す。
 大地は面白がるような表情を崩さないままだったが、それでも黙ってヴィオラを持ち上げた。
 まだ首を傾げたままだったかなでが最後に慌てて演奏体勢を整えると、それが合図になったかのように再び音色が空気を震わせ始める。
 だが響也の心中は掻き乱されたまま、とても演奏に集中できるような状態ではなかった。
(ったく、お約束で悪かったな……ほっとけよ)
 大地がどこまで正確に把握したのかは分からないけれど。
 心の内をすべて握られてしまったように感じるのは――なんとなくだが気のせいではないように思う。
 お約束と言われれば、まったくそのとおりだろう。
 幼い頃からずっと一緒にいてこんな感情を抱くなんて、自分でも気恥ずかしい。
(……しょうがねぇだろ)
 お約束でも何でも――これが本心なのだから仕方ない。
 誰に何を言われようとも、たとえ一方的なものであっても。

 それでも構わないと思えるほど――好きなのだから。


 (2010.07.25 Saika Hio)


【あとがき】
「響也ってひなちゃんには優しいよな」っていう大地先輩の台詞が書きたかっただけのお話でした。
響也がいつからかなでちゃんを好きなのかはゲーム中でも曖昧なので、いろいろ妄想できて楽しいです(笑)。


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