もう二度と

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 ――かなでの様子がおかしい。

 なんとなくそう思い始めたのは数日前だ。
 放課後も部活の後もどこか慌てた様子でさっさと帰ってしまい、どこへ行っていたのか聞いても言葉を濁すばかりで要領を得ない。
 支倉と二人で何かこそこそ話し合っているのも何度か見かけたが、問いかけても返ってくる言葉は決まって「なんでもない」だ。
 曖昧な笑いは如何にも誤魔化していますと言われているのと同義であると思うのだが。
 しかも意味ありげな支倉の笑みがまた腹立たしく且つもどかしいことこの上ない。
 だが、なんでもないと言われてそれ以上食い下がることもなんとなくできず、どうにも微妙な空気のまま数日が過ぎた。

 ――いよいよ決定的におかしいと思われる事柄が発生した。

 春休みに入ってからもオケ部は毎日練習を重ねている。
 勿論かなでとも一緒で、昼食も二人で食べるのが日課だ。
 それは去年の夏、二人の関係がそれまでよりも変化した頃からずっと続いていることなのだが――。
『ごめんね、今日のお昼はちょっとムリなんだ』
 ごく簡潔にそう告げたかなでは、風のように部室から去っていってしまった。
 止める間も尋ねる隙もなかったのは、あの鈍くさい幼馴染にしては快挙とも言えるスピードである。
 響也は呆然と、彼女の消えたドアをしばらく凝視してしまった。
(な……なんなんだ、いったい)
 別に、毎日一緒に昼食を摂らなければいけないという決まりはない。
 かなでにも用事や事情はあるだろうし、ガチガチに束縛しようなどというつもりもない。

 ――が。

(なんつーか、追及されたくねぇオーラ全開だったよな)
 隠し事をされているとなればまた話は別だ。
 心中穏やかでは到底いられないというのが正直なところである。
 追いかけて問い質すべきか、それとも気付かないふりをしておくべきか、脳内が鬩ぎ合う。
 と言っても、どこへ行ったか分からないのではどうしようもないのだが。
(とりあえず昼メシ食ってから考えるか……)
 一人の昼食は久しぶりだ。
 そんな些細なことが思考に影を落とすのは、決して気のせいではない。
 情けないという自覚はあるが、割り切れるほど大人にはなれないというのが残念ながら現状である。
 やれやれ、と思いながら響也は部室を後にした。
 いつも弁当を食べるのは森の広場なので、なんとなく足がそちらに向いてしまう。
 春休みだが部活を行っている生徒は多く、弁当を広げている者もちらほらと見かける。
 ――と、そのとき。
 聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
「――でしょう、先輩。申し訳ありませんが、それは正直……僕たちに聞かれても困ります」
 生真面目さをそのまま音にしたようなこの声は、ハルだ。
 珍しく何か困惑しているようだが。
 そこへ被さるように陽気な笑い声が響く。
「ははっ、確かにね。ひなちゃんの言いたいこともわかるけど、ハルの言うことも一理ある」
「一理あるどころじゃありませんよ榊先輩。だって、どう考えてもいちばん詳しいのは小日向先輩じゃないですか」
「まあそりゃ、一緒にいた時間がいちばん長いのはひなちゃんだものな」
「だがそれでも、小日向が困っているのは事実なのだろう。俺たちが助言を求められた以上、一緒に考えるべきだとは思う」
「ですが、如月部長……」 
 どうやら律や大地もいっしょにいるらしい。
 三年生は既に卒業式も終わっているが、二人は毎日のようにオケ部に顔を出している。
 つまりかなでは今日、彼らと一緒に食事をする約束をしていたということなのだろうか。
 だがそれなら別に自分が一緒でも問題はないのではないか――と、些か面白くない心境で響也は思った。
 先刻からのモヤモヤした気分が更に色濃くなっていく。
 近づいて声をかけようかと思った、そのときだ。
「響也先輩の喜ぶ物なんて、僕たちには分かりませんよ」
 困惑の中に微かな苛立ちの混ざり合った声音が耳を打った。
 いきなり名前が挙がったことで、響也の鼓動が跳ね上がる。
(は……? オレ?)
 動揺した拍子に足元の草が乾いた音を立てた。
 が、風の音と相まって、それは静かに空へと消えていく。
「……あのさ、ひなちゃん。やっぱり本人に聞くのがいちばんじゃないかな」
「え」
 大地の言葉に、かなでが顔を上げた。
「サプライズを狙いたい気持ちも分かるけどさ。時には正攻法も必要だと思うよ」 
「でも……」
 ここからでは横顔しか見えないが、かなでが困っている様子は響也にもはっきりと伝わってきた。
 いったい何を悩んでいるというのだろう。
 あんな風に、瞳に影を落としてまで。
(なんでオレじゃなくて、あいつらに相談してんだよ……)
 そんなに頼りにならないと思われているのだろうか。
 誰よりも近くにいるのは自分だと思っていたけれど。

 ――かなでの方は、そうは思っていなかったのだろうか。

 柄にもなく後ろ向きな思考が脳裏を支配しようとする。
 だがそれは思いがけない形で断ち切られた。
「では俺たちはそろそろ行くから、本人を探して尋ねてみるといい」
「いや、探す必要は無いみたいだよ」
 意味ありげな言葉と共に、大地がこちらを見た。
 なんだ、と思う間もなく、明らかに視線がぶつかる。
 大地の目線を追うように他の皆も一斉にこちらを向き――かなでが素っ頓狂な声を上げた。
「きょっ、響也! な、なんでここにいるの?」
「いや、なんでも何も……昼メシ食いに来たんだよ」
「あ、そ、そっか……」
 歯切れ悪く口篭ったかと思えば、そのままばつが悪そうに視線を逸らすかなで。
 いったい何なのかと問いたいのに、他の視線が気になって上手く言葉が紡げない。
 それを察知したのかどうかは知らないが、大地がかなでに軽くウインクしてみせた。
「じゃ、俺たちは行くよ。あとはストレートに頑張ってごらん」
「僕もそれがいいと思います。では小日向先輩、響也先輩、失礼します」
「それではな」
 それぞれの言葉で挨拶を残し、三人は去って行った。
 これは――もしかしなくても。
(大地のヤツ……オレがいること気付いてやがったのか)
 どうにも、一枚も二枚も上を行かれているようで面白くない。
 今に始まったことではないが。
(いや、そんなこと気にしてる場合じゃなかった)
 目の前のかなではいつになく困りきった様子であちこち視線を彷徨わせている。
 明らかに挙動が不審だ。
 だが皆が去ってしまい、後には二人しか残されていないとなれば。
 直接問うしか道はない。
「……で?」
「え」
「え、じゃねーよ。なんなんだ一体」
 最初の言葉を口にしたら、後はそのまま溜息と共に滑り出ていた。
「こそこそなんかやってるかと思えば、あいつらさっさと行っちまったし」
「そ、それは」
「オレに言えねぇ話なのかと思えば、オレに直接聞けとか言われてるし。何の話だよ?」
 かなではそれでもまだ往生際悪く視線を揺らしていたが、やがて意を決したように、ごめんね、と呟いた。
「本当はこっそり用意してびっくりさせたかったんだけど……」
 言いながら、大きな瞳が真っ直ぐこちらへ向く。
 改まって見つめられたことで、鼓動が正直に騒ぐ。
 だがその次に訪れた驚愕は、およそそれまでの比ではなかった。
「今日、響也のお誕生日だから。プレゼント何がいいかずっと考えてたんだけど、いまいちこれっていうのが浮かばなくて」
「――はぁ?」
 誕生日。
 言われて初めて思い出した。
 そういえば――そうだった。
「け、けどそんなの今さらだろ。今までだって毎年おまえ、いろんなものくれて――」
「今までとは違うもん」
 至極まっとうな反論をぶつけてみたつもりだったのに、意外にもかなではそれを即断した。
「今までは普通の幼馴染だったけど、今年からは違うんだもん」
 普段のふわふわした言動からは想像もつかないくらい、確固たる意思がその瞳に見える。
「好きな人のお誕生日のプレゼントだよ。ちゃんと――今までよりもっとちゃんと考えて贈りたかったんだもん」
「………っ」
 こんなにも素で言葉を失ったのは初めてかもしれない。

 本当に――なんと言ったらいいのか分からない。

 ただ目の前のかなでの朱に染まった頬と、微かに潤んだ瞳が無性に愛おしい。
 ここ数日のすべての流れが頭の中で繋がったとき、ようやく響也の口からは長い長い溜息が零れ落ちた。
(ったく……バカだろこいつ)
 大地たちの言ったとおり、直接訊いてくれればよかったのだ。

 そうしたら、こんな風に――心を乱さなくてもすんだのに。

「だけどニアに訊いてもみんなに訊いてもやっぱりピンとこなくて……やっぱり最初から響也に訊けばよかったのかな」
 響也の心中を読んだかのように、自嘲気味に独りごちるかなで。
 そして彼女は顔を上げ、小さな声で言った。
「ごめん、改めて訊くね。何か欲しいものとかあったら教えて?」
 真っ直ぐに――ただ真っ直ぐに。
 たったひとりの抱く願いを、その両手で掬い上げるかのように。
「……バカ」
 先に目を逸らしたのは響也のほうだった。
 いくらなんでも――居た堪れない。
「別に――なんもいらねぇよ。いつもみたいにそばにいてくれれば……それでいい」
 零れ出した言葉はほぼ無意識だったが、紛れもない本音だった。
 ただ、いちばん近くにいられれば――他に望むものなど何もない。
 つい先刻までささくれ立っていた心が、急速な温かさに包まれて溶けていく。
「え、そんなのでいいの? それじゃちっともお誕生日っぽくないよ」
「いいんだよ。……オレがそれでいいって言ってんだから、立派なプレゼントだろ」
「そ、そうかなあ……?」
 きっぱりと言い切っても、まだかなでは釈然としない様子で首を傾げている。
 だが響也にとってはそれが何より大切なことなのだ。
 かなでの奇妙な態度にやきもきしたり、あらぬ誤解を抱いたり。

 もう二度と――あんな思いはしたくないから。

 誰よりも近くにいられることがどんなにかけがえのないことか、改めて分かった気がする。
 これ以上の贅沢など、どこにもありはしない。
「そうなんだよ」
 自然に口元へ微かな笑みが浮かぶ。
「それでいいから。……な?」
「――うん、わかった」
 ようやくかなでも安心したように微笑み、頷いた。
 いつもすぐ隣にある、陽光のような笑顔。

 ――それを独り占めできる特権は、どんな贈り物でさえも絶対に敵わない。 



(2010.3.31 Saika Hio)

【あとがき】
コルダ3にハマり、響也にハマって早一ヶ月。
なんと誕生日が3月31日だなんて、これは祝えというファータの思し召しですね分かります(意味不明)。
というわけで、お誕生日創作なるものを書いてみました。
あんまりにもありきたり過ぎるネタですが、まあ最初だしいいよね!(そうか?)
しかし書いてて思ったんですが、律ってもう部長じゃないよね(笑)。
ひょっとして次の部長を響也がやってたりしたら面白いな〜とか思いながら書いてました。
(そんな捏造はさすがに具現化できませんが)
幼馴染というのは私にとっては究極の萌え設定なのですが、幼馴染カップルって創作書きづらいんですね…うん…(遠い目)。

とにかく響也お誕生日おめでとう!


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