こどもみたいだ

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 しまった、と思ったときには遅かった。
 慣れない山の、およそ平坦とは言い難い道。
 気をつけて歩いていたつもりだったが、張り出した木の根に足を取られたのはほんの一瞬のできごとだった。
「わっ……!」
 短い悲鳴と共に身体が傾いだのと、前を歩いていた勝真がこちらを振り向いたのがほぼ同時のこと。
 が、花梨自身に成す術はなく、ただ倒れ込んだ身体を両手で支えるのが精一杯だった。
「大丈夫か」
 さりげなく目の前に差し出された大きな手。
 視線を上へ辿っていくと、気遣わしげな眼がまっすぐこちらを見下ろしている。
「だ、大丈夫ですごめんなさい!」
 自分の粗忽さが無性に恥ずかしくて、慌てて体勢を立て直す。
 差し出された手を借りても良いものかどうか一瞬迷ったが、せっかくの厚意を無にするのも失礼なのかもしれない。
 おずおずと指を重ねると、力強い手がゆっくりと引っ張り上げてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
「怪我はないか?」
「はい、平気です」
 幸い手も足も擦りむかずに済んだようなので、大きく頷く。
 それを見て安心したのか勝真は僅かに表情を緩め、気をつけろよ、とだけ言って再び前を歩き始めた。
 慌ててその背についていこうと足を踏み出す。
 その瞬間、異変に気づいた。
(あ、痛っ……)
 力を入れた途端、足首に走った鈍い痛み。
 どうやら躓いた時に挫いてしまったらしい。
 だが幸いなことに、歩けないほどではなさそうだ。
 余計な心配をかける必要もないだろうと胸中で判断した花梨は、痛む部分になるべく力を入れないようにしながらそのまま歩き続けた。
 前を行く勝真が、時おり足を止めてこちらを振り向く。
 きちんとついてきているか、あるいはまた転んだりしていないかどうか、確認してくれているのだろう。
 その度に彼が何か言いたそうにしているのが気にはなったが、どうにか誤魔化せているらしい――と思い始めた時だった。
「――おい」
 短く呼びかけた声がやたらと低かったように聞こえたのは気のせいだろうか。
「え? は、はいっ!」
 弾かれたように返答しながら見遣ると、明らかに表情も険しい。
 気のせい――では、おそらく、ない。
「えっと……な、なんでしょう?」
 何か怒らせるようなことをしただろうか。
 我が身を振り返ろうと試みた花梨に、しかし勝真は更に氷点下の視線を向けてくる。   
「なんでしょう、じゃないだろう。誤魔化せるとでも思ってるのか?」
「え」
 ぱちくりと目を瞬いた途端、呆れたような溜息が盛大に耳を打った。
「――足。捻ったか何かしたんだろ。どうして何も言わないんだ」
「そ……それは、ええと」
 二の句が継げないとは正にこのことだ。
 こんなにあっさり看破されるとは思わなかった。
(うー……どうしよう)
 捻っていない、と言っても通用しないことは目に見えている。
 かといって他に言える言葉もなく、花梨は小さく首を横に振った。
「で、でも歩けますから。大丈夫です」
 それは花梨なりの精一杯の主張だったのだが、途端に勝真の表情が更なる剣呑さを帯びた。
「まさかそれで俺が納得するなんて思ってないだろうな?」
「え、だ、ダメなんですか?」
「当たり前だろ。ったく……」
 再び勝真の口から溜息が落ちる。
 彼が何に対して怒っているのか、正直なところ花梨にはあまりよく分からないのだが。
 さすがにそれを真正面から尋ねる勇気は持ち合わせていなかった。
 しょうがねぇな、と独り言のような呟きが耳に触れる。
 ――と、次の刹那。
「えっ――え? えええ?」
 いきなり足元の感覚がなくなり、前触れの無い浮遊感が全身を包む。
 腰の辺りをがっしりと支えられ、何かに担ぎ上げられたような感覚。
 ――否、「ような」ではなく、まさしく担ぎ上げられているのだ。
 しかも「何か」どころではない。
 花梨の身体が今ある場所、それは――。
「わわっ、か、かつざねさ……!」
「おとなしくしてろ。落ちても知らないぜ」
 肩に花梨を軽々と抱き上げながら、常と全く変わらない口調で勝真が言う。
 その突拍子も無い行為も、ありえないほどの密着具合も、まるでなんでもないことであるかのように。
「そ、え、だって……!」
 無茶を言わないでほしいという素朴な要求すら、上手く言葉になってくれない。

 ――とても落ち着いてなどいられるはずがないではないか。

 まるで子どものようだ。
 だが、恥ずかしいと思うのはそれだけが理由ではないような気がする。
「あ、歩けますってば!」
 やっとの思いで必死に叫ぶ。
 後ろ向きに抱き上げられているので、懸命に首を捻ってもようやく視界に入ってくるのは勝真の後ろ髪だけで。
 だから彼が今どんな表情をしているのかは、さっぱり分からない。
 普段こんな風に見ることはまずありえない、明るい色の髪が揺れる襟足。
 肩の上から見下ろす背中はいつもよりも更に広く感じる。
 どんどん頭に血が上っていくのは、前傾気味の体勢のせいだけでは決して無いはずだ。
「あのっ、だから下ろしてください!」
 歩けなくなる前に、心臓が壊れるような気がする。
 さすがにそこまではっきりと訴えることはできないけれど。
「勝真さんってば!」 
 せめてもの抵抗とばかりに、広い背中を両手でぽかぽかと叩いてみる。
 だが勝真はまったく意に介していない様子で、そのまま歩き始めた。
「いいからおとなしくしてろ。心配しなくても紫姫の邸に着いたらちゃんと下ろしてやるよ」
「……あの、それじゃ遅いんですけど……」
 弱々しい抗議が何の効力も持たないことは、既に花梨にもなんとなく分かった。
 本当に紫姫の邸に到着するまで下ろしてくれるつもりは無いのだろう。
(な、なんでこんなことになったんだっけ……?)
 混乱しきった頭では、つい今しがたまでの出来事すら最早あまりよく分からなくなっている。
 ただ、なんとなく分かるのは――恥ずかしさと不快感は決して同義語ではないらしいということ。
 波打つ鼓動が伝わってしまわないかと気が気ではないが、抱き上げられていること自体は決して嫌ではない。

 ――それは、どうしてなのだろう。

 いつもと違う角度から空色の背中を見つめながら、邸に着くまで花梨はずっと考え続けたのだった。
 

 (Saika Hio 2010.02.14)


【あとがき】
遙か祭in武道館での頼忠さんの愛のメッセージで神子を抱き上げるというシチュエーションがあって、じゃあ勝真さんにさせてみたらどうなるだろうと思って書いてみたもの(笑)。
お互いにまだまだ無自覚の状態。
勝真さんはたぶん本当に花梨ちゃんを子どものように扱っているに違いないです。
ラブと見せかけてラブくなくてすいません(笑)。
(※以前ブログに掲載したものです)


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