笑顔が見たいだけなのに

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「よし、今だ!」
 小声の合図と共に、二対の翼が翻った。
 両腕に抱えていた数え切れないほどの花たちを、舞い上がった風に勢いよく放つ。
 ひらひらと音もなく降っていく無数の花は、狙い済ましたように一人の少女めがけて着地していく。
 大きく張り出した枝葉の下を歩いていた千尋が、弾かれたように足を止めた。
「わっ……な、なに……!?」
 あたりを見回し、頭上を見上げ、それでもまだ花の出所が分からない様子できょろきょろと首を巡らせる千尋。
 そのたびに髪から肩からいくつも花びらが落ちていくが、それに追いつかないほど次から次へと彼女の上へ花は降る。
 赤に黄色に薄紅色。
 雪と見紛う純白に、快晴の空と同じ青。
 どんな色の花びらも、絹糸のような金の髪に映えないものはない。
 あっという間に落ちていくのが勿体無いほど、それはまるで珠のように彼女を飾った。
 呆然と立ち尽くす千尋をそのままずっと見ているのも決して悪くはないけれど、驚かせたままでいるのも居た堪れない。
 サザキは羽音を響かせて、ゆっくりと木の上から下りた。
「よう、姫さん」
 まだ落ちきっていなかった花びらがサザキの周りにもいくつか舞う。
 花と一緒に下りてきたサザキを見て、千尋がいよいよ目を丸くした。
「サザキ……?」
「お、おう。ちょっとばかし驚かせすぎちまったか? いやーしかしかなり集めたつもりだったが、降らせるとなるとあっという間なんだなー」
 下りてきたのは良いが、いざ千尋を目の前にするとやはりどうにも上手く言葉を紡げない自分がいる。
 それはもう、気恥ずかしいなどという形容では済まないほどの感情で。
 心臓がいつ壊れてもおかしくないほどに、鼓動がうるさく響き続ける。
 千尋が傍にいると、いつも。
 もちろん今このときも例外ではない。
「サザキ……なの? この、花びら……こんなにいっぱい……」
 一人で勝手に動揺しているサザキに気付いているのかいないのか、千尋は自分の周りに散らばる色とりどりの花たちを見る。
 そこに驚き以外の感情は伺えない。
 やはり驚かせすぎてしまったのだろうか。
「あ、ああ、そのー……最近ちょっと姫さん元気がないみたいだったからさ。ちょっとでも笑ってもらえればいいかなーなんて思ったんだが……ダメだったか?」
 照れ隠しなのか何なのか自分でもよく分からない曖昧な笑みを浮かべながら、そう言った――次の瞬間。
「……っ」
 千尋が小さく息を呑んだ。 
 見開かれた青い瞳が微かに揺れる。
「えっ……ひ、姫さん……?」
 今日いちばんの勢いで、鼓動が跳ね上がった。
 千尋の両の瞳から透明な雫が溢れ出した為だ。
 成す術もなく立ち尽くすサザキの目の前で、千尋はぽろぽろと涙を零し続けている。
「ひ、ひひひひめさーん!?」
 もはや動揺を遥かに通り越し、サザキの脳内は完全なる恐慌状態に陥っていた。
 まさか泣かれるなどとは夢にも思っていなかった。
 そんなに驚かせたつもりはなかったのに。
「す、すまん姫さん! オレはそんなつもりじゃ……って、うわあああオレなに間違えたんだ!?」
 思わず伸ばした両腕が細い肩へとかかる直前に、我に返って引っ込める。
 今ここで触れたり――ましてや抱き締めたりなど、できるわけがない。
 泣いている千尋をそのままにしてはおけないが、かと言ってどうしたらいいのか皆目見当もつかず、サザキはただおろおろと千尋の顔を覗き込んだ。
「姫さん……姫さーん?」
 呼びかけるサザキには応えないまま、千尋は俯き加減に涙を拭っている。
 微かにその首が横へ振られ、ちがう、という呟きが聞こえたような気がするけれど、今のサザキの耳には入っていなかった。
 何もできないまま万策尽きた感で、途方に暮れることしかできない。
「悪かった、この通りだ。頼むから泣き止んでくれよ、姫さん……」
 消え入りそうな謝罪の声に、渇いた羽音が被さる。
 地面に影を作りながらカリガネがゆっくりと下りてきた。
 今の今まですっかりその存在を忘れていたが、まさに天の助けだとサザキは思った。
「カリガネ、どうしよう! 姫さん泣かすつもりなんかじゃなかったのに!」
 逆だ。
 まったく逆だ。
 ただ、少しでも笑ってほしくて。

 本当にただ――それだけだったのに。

「……オレやっぱり、失敗しちまったな……」
 しょげるサザキを見るカリガネは、いつもと変わらず無表情だ。
 ――が、次の瞬間、その瞳が呆れたような笑みの形になった。  
「馬鹿か。――大成功だ」
「え?」
 言葉の意味も、笑みの理由も分からない。
 カリガネはそれに直接応えることはせず、ただ目で千尋を示した。
 釣られるようにそちらを見て――サザキは驚愕に目を見開いた。
「え……っ」
 目を疑うとはこういうことを言うのだろうか。
 たった今まで泣いていた千尋が涙を綺麗に拭い去り、にっこりと笑っていたのだ。
 今日いったい何度目になるのか、鼓動が飛び出しそうな勢いで暴れだす。
「ちがうよサザキ。嬉しいの。すごく嬉しくて――泣けてきちゃっただけ」
 言葉を裏付けるように、その笑顔はサザキが今までに見たこともないほど輝いていた。
 笑ってほしいと――少しでも元気になってくれたらと、心から願ったとおりに。
「ありがとうサザキ。カリガネも。こんなにたくさんいろんな花を集めるの、大変だったでしょう?」
「ああ、一生に一度の願いだなどと言われた。いったいサザキには一生が何回あるのだろうな」
「そうなの? ふふ、サザキらしいね」
「え、いや、そのー……」
 まさかここでそれをばらされるとは思わなかった。
 カリガネあとで覚えとけ、と内心で毒づいたが、ちらりと見遣ると千尋は可笑しそうに笑い続けている。
(まあ、姫さんが楽しそうなら……別にいいか) 
 それこそが目的だったのだから。
 自分の中で納得した途端、サザキの顔にも自然に笑みが浮かんでいく。
 頭上の枝に引っかかっていた青い花びらがひとひら、風に煽られて舞い降りた。 


(Saika Hio 2010.02.14)


【あとがき】
サザキとカリガネのデュエット『花盗人の空は千紫万紅』を聴いていて浮かんだ妄想。
あの歌の直後というシチュエーションです。
「驚きすぎて嫌われたらどうしよう」とかのあたりから、ぐわ〜っと妄想が広がりました(笑)。
あまりサザちひという感じではなかったですが、書いていてとても楽しかったです。
(※以前ブログに掲載したものです)


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